Tenrikyo Europe Centre

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2018年10月大祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長 長谷川善久

さて、みなさんご存じのおふでさき

これからハ心しいかりいれかへて
よふきづくめの心なるよふ十四号 24

月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから十四号 25

せかいにハこのしんぢつをしらんから
みなどこまでもいつむはかりで十四号 26

とあります。

10月の大祭をつとめる意義は、世界人類の平和を祈念すると同時に、我々信者が立教の元一日に思いを馳せることにあるとお聞かせ頂きます。

それは1838年10月26日に教祖の夫、善兵衛様が、ただ親神の言葉を信じ切りなされた決意を思い起し、また、我々それぞれが、自らの信仰の元一日に思いを馳せ、新たなる決意をもった一歩を踏みだす日だと思います。

教祖、中山みき様は、地上に於ける親神様として、人類の母というお立場で、悩み苦しむ人々に真の幸福へと向かう道を伝えられました。50年もの年月の間、口で伝え、自ら書物を残され、また何よりもご自身の人生を通して人間の通るべき道の手本をお示し下さったばかりでなく、今現在も存命で私達を見守りくださっています。

おさしづには、

難しい事は言わん、難しい事をせいとも、紋型無き事をせいとも言わん。皆一つひとつのひながたの道がある(M22.11.7)

ひながたの道を通らねば、ひながた要らん。ひながたなおせばどうもなろうまい(M22.11.7)

ひながたの道より道が無いで(M22.11.7)

とあるとおりです。

この人生の手本、「ひながた」には大切なポイントが三点ありそれをしっかりと守って、私達の日々を通ることがひながたを辿るという意味になるのだと私は思っています。

最初の一つは、どのような人に対しても、あたたかい親心を持つ。

その愛情とは、通常、親が子に対して持つ無条件かつ限りの無いものです。教祖は、誰彼と隔てなく、全人類の母として、私達の身体を芯から温める太陽の温みのような愛情を注がれました。

逸話篇160

一六〇 柿選び

ちょうど、その時は、秋の柿の出盛りの旬であった。桝井おさめは、教祖の御前に出さして頂いていた。柿が盆に載って御前に出ていた。

教祖が、その盆に載せてある柿をお取りになるのに、あちらから、又こちらから、いろいろに眺めておられる。その様子を見て、おさめは、「教祖も、柿をお取りになるのに、矢張りお選びになるのやなあ。」と思って見ていた。ところが、お取りになったその柿は、一番悪いと思われる柿をお取りになったのである。そして、後の残りの柿を載せた盆を、おさめの方へ押しやって、

「さあ、おまはんも一つお上がり。」と、仰せになって、柿を下された。この教祖の御様子を見て、おさめは、「ほんに成る程。教祖もお選びになるが、教祖のお選びになるのは、我々人間どもの選ぶのとは違って、一番悪いのをお選りになる。これが教祖の親心や。子供にはうまそうなのを後に残して、これを食べさしてやりたい、という、これが本当に教祖の親心や。」と感じ入った。

そして、感じ入りながら、教祖の仰せのままに、柿を頂戴したのであった。教祖も、柿をお上がりになった。おさめは、この時の教祖の御様子を、深く肝に銘じ、生涯忘れられなかった、という。

二番目は、こかん様がもうお米が無いと教祖に言うと、教祖

「世界には、枕元に食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんというて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、私らは結構や、水を飲めば水の味がする。神様が結構にお与えくだされている」

と諭されように、どのような状況にあっても、明るく勇んで通るということです。

日頃から無い物に不足を思うのでは無く、与えられているものを喜んで過ごすことは、天理教の教えの根幹部分でもあります。

最後は、親神様にもたれきる精神です。

教祖伝を読ませて頂くと、信者達が,さまざまな問題を解決するにあたり、その方法において教祖の思いとは掛離れたていた事例ができてきます。信者達はそれまでの人間社会慣例、いわばその時代の合理的な考え方で問題を解決しようとしたときには、教祖は、親神様の教えにそった方法を取るように強く求めました。

親神様にもたれきる精神とは、つまり、現在社会の生活様式、対人関係の在り方に流されてただ漫然と即した生活をおくるのでは無く、ことあるごとに、教祖であれば、どうなさるだろうかという問い掛けを自らにしながら、生きる生活であろうかと思います。

「ひながた」と聞いたときには、「親心」、「明るく勇んだ心」、「教えに判断の基準を求める生き方」の三点を思い浮べてください。

さて、現在,御本部は、活動の中心として、「道の後継者の育成」を挙げております。真柱様は、教祖年祭の当日のお言葉の中で「何にも増して道の将来を担う人材を育成する必要性を強く感じる。三年千日の中で蒔いた種が、実を伴うよう努めるとともに、これからの活動の中で、長い目で人を育てる取り組みを始め、陽気ぐらし世界実現への着実な歩みを勇んで踏み出していただきたい。」とお求めになられました。

さて、子供に対する教祖の様子をうかがい知る逸話があります。

逸話篇193「早よう一人で」です。

これは、梶本宗太郎の思い出話である。

教祖にお菓子を頂いて、神殿の方へでも行って、子供同志遊びながら食べて、なくなったら、又、教祖の所へ走って行って、手を出すと、下さる。食べてしもうて、なくなると、又、走って行く。どうで、「お祖母ちゃん、又おくれ。」とでも言うたのであろう。三遍も四遍も行ったように思う。

それでも、「今やったやないか。」というようなことは、一度も仰せにならぬ。又、うるさいから一度にやろう、というのでもない。食べるだけ、食べるだけずつ下さった。ハクセンコウか、ボーロか、飴のようなものであった、と思う。大体、教祖は、子供が非常にお好きやったらしい。これは、家内の母、山沢ひさに聞くと、そうである。

櫟本の梶本の家へは、チョイチョイお越しになった。その度に、うちの子にも、近所の子にもやろうと思って、お菓子を巾着に入れて、持って来て下さった。

私は、曽孫の中では、男での初めや。女では、オモトさんが居る。

それで、

「早よう、一人で来るようになったらなあ。」と、仰せ下された、という。

私の弟の島村国治郎が生まれた時には、

「色の白い、綺麗な子やなあ。」と、言うて、抱いて下された、という。この話は、家の母のウノにも、山沢の母にも、よく聞いた。

吉川(註、吉川万次郎)と私と二人、同時に教祖の背中に負うてもろうた事がある。そして、東の門長屋の所まで、藤倉草履(註、表を藺で編んだ草履)みたいなものをはいて、おいで下された事がある。

教祖のお声は、やさしい声やった。お姿は、スラリとしたお姿やった。お顔は面長で、おまささんは一寸円顔やが、口もとや顎は、そのままや。お身体付きは、おまささんは、頑丈な方やったが、教祖は、やさしい方やった。御腰は、曲っていなかった。

先日、何かで、近年誕生するようぼくのうち五〇%が三〇歳以下だと知りました。おそらく信者子弟が、その大半を占めているからだと想像します。もし我々の子供達がお道を歩んでいかなかったならば、天理教の将来は不確かなものになりかえないとさえ言えるでしょう。

少年会の育成方針について、2代真柱様は、「神一条の精神」「ひのきしんの態度」「一手一つの和」の三信条をもって子供達を陽気ぐらしのできる人材へと育てることをもとめられました。そして この三つの信条を、小さい時分からしっかりと教理という理屈ではなくて、習慣として身につけさせることを望まれました。更には、50年もしたら少年会の事は一五歳の隊長が責任をもって活動する日が来ることまでを願い楽しみにしておられたそうです。

少年会には、お誓いの言葉という素晴しいものがあります。

「私は天理教少年会員です。教えを守り、ひのきしんにはげみ、互いにたすけあって、立派なようぼくに育ちます」となっています。

これを先程の三信条と比べてみると、実は、こどもたちにも分かりやすいように言葉をかえてあるだけなのがよく分かります。

つまり「神一条の精神」とは「教えを守ること」、「ひのきしんの態度」とは「ひのきしんに励むこと」最後の「一手一つの和」とは「互いに助け合うこと」です。

子供達は、ひとりひとりの環境も異なり、個性も違います。導き育てるには、子供の世界に入り込み、子供の心を引付けることも大切ですが、私達は、自分自身がしっかりと信仰の喜びを身につけることも疎かにしてはならないとは、真柱様が繰返し仰っておられることです。

子供達にこの信仰を持って幸せな人生を送って貰おうと思えば、まずは、日頃のどんなことにも親自身が「ありがたい。結構だ。勿体無い」の一言を意識的にでも口にすることも必要ではないでしょうか。

おふでさき

をやこでもふう/\のなかもきよたいも
みなめへ/\に心ちがうで五号8

とあるように、子供へ信仰を伝える親の努力なく、信仰の伝承はないと言えましょう。

また、逸話篇196には次のような話があります。

「子供の成人」

教祖の仰せに、「分からん子供が分からんのやない。親の教が届かんのや。親の教が、隅々まで届いたなら、子供の成人が分かるであろ。」と、繰り返し繰り返し、聞かして下された。お蔭によって、分からん人も分かり、救からん人も救かり、難儀する人も難儀せぬようの道を、おつけ下されたのである。

道の先をゆく私達は、他人の成人の鈍さを嘆くまえには、必ず自分の成人はどうであるか問掛けることが大切だとも思わせて頂きます。

おさしづには、

「どうでもこうでも伝う理、親という代、そのあと伝わにゃならん。尋ねるまでのもの。真実の理を見た限り、親のあと子が伝う」明治26年6月21日

真実の理とは、口と心と行いの一致であります。

そのような親の努力の結果として、御筆先七号17のお歌に、

このきいもたん/\月日でいりして
つくりあけたらくにのはしらや

とある通り、親が、親神様、教祖が喜ばれる方法で育てた子供は、お道の支えになるばかりでなく、必ずや、世界社会の支えともなり得るような人材になっていくのだと教えてくださっています。

私達の成人に向けた心の真実が、教祖の教えがヨーロッパでこれから先も末代に掛けて、着実に拡がり伸びていく一番のもと種になるのです。

これからも、信仰の元の一日の心を忘れず、所属する教会の指導を受けながら、2020年の設立五〇周年に向けて、親神様の目に今以上にかなうような月次祭がこのヨーロッパでつとめることが出来るよう、更なる努力を共に続けさせて頂きたいと思います。

ご静聴ありがとうございました。

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