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2010年4月月次祭神殿講話

内子・パリ布教所長 松川高明

本日は、皆様と共に、賑やかに4月の月次祭を勤めさせていただき、誠にご同慶に存じます。皆様方にはお忙しい中を御参拝いただきまして誠に有り難うございます。皆様もご存じのように今月は、ひながたの親として、そして今なお御存命の理をもって世界一れつに親心一杯注がれている天理教の教祖、中山みき様がお生まれになった月でございます。今月18日には、おやさとぢばにおきまして、教祖の212回目の御誕生日をお祝いする教祖御誕生祭がつとめられます。本日は、教祖のお通りいただいた道すがらを偲び、御教えを心に治めさせていただく上から、教祖のひながたについて、一言ご相談をさせていただきたいと思いますので、しばらくお付き合いいただけますようお願い申し上げます。

私たちが教祖(きょうそ)のことを「おやさま」とお呼びするのは、教祖御在世中のころからであります。それは月日のやしろ、すなわち教えの親という立場を意味すると同時に、いつも私たちをやさしく見守り、親しくお導きくださる親であるという尊敬と親しみを込めて、「おやさま」とお呼び申し上げるのであります。また、おふでさきや「おさしづでは、教祖のことを一貫して私たち人間の「をや」であると表現されておりますので、おのずと「おやさま」とお呼びするようになったものと推察できるのであります。

にんけんをはじめたしたるこのをやハ
そんめゑでいるこれがまことや            八 37

にんけんをはじめたをやがも一にん
どこにあるならたつねいてみよ          八 75

教祖(おやさま)」と呼ばしていただく時に、いつも安堵する自分があり、教祖はいったいどんな方であったのだろうかと、皆様方もその面影をご想像されたことが幾度となくおありかと思います。稿本天理教教祖伝第八章に教祖の面影について次のように誌されておりますので、少し拝読させていただきます。

高齢の教祖にお目に掛った人々は皆、譬えようもない神々しさと、言葉に尽せぬ優しさとが、不思議にも一つとなって、何となく胸打たれ、しかも心の温まる親しさを覚えた。
教祖は、中肉中背で、やゝ上背がお有りになり、いつも端正な姿勢で、すらりとしたお姿に拝せられた。お顔は幾分面長で、色は白く血色もよく、鼻筋は通ってお口は小さく、誠に気高く優しく、常ににこやかな中にも、神々しく気品のある面差であられた。
お髪(ぐし)は、年を召されると共に次第に白髪を混え、後には全く雪のように真白であられたが、いつもきちんと梳(くしけず)って茶筅に結うて居られ、乱れ毛や後れ毛など少しも見受けられず、常に、赤衣に赤い帯、赤い足袋を召され、赤いものずくめの服装であられた。
眼差は、清々しく爽やかに冴えて、お目に掛った人々は、何人の心の底をも見抜いて居られるというのはこのような眼か、と思った。
足腰は、大そう丈夫で、年を召されても、腰は曲らず、歩かれる様子は、いかにも軽ろやかで速かった。

教祖にお目に掛る迄は、あれも尋ね、これも伺おうと思うて心積りして居た人々も、さてお目に掛ってみると、一言も承わらないうちに、一切の疑問も不平も皆跡方もなく解け去り、たゞ限りない喜びと明るい感激が胸に溢れ、言い尽せぬ安らかさに浸った。
お声は、平生は優しかったが、刻限々々に親心を伝えられる時には、響き渡るような凛とした威厳のある声で、あれが年寄った方の声か、と思う程であった。

と、このように述べられております。教祖は、子供に対しても、すこぶる丁寧に優しく仰せられたと言いますが、その優しいお言葉に、ひながたの親としての面影を偲び、刻限刻限に親神の思召を伝えられた、神々しくも厳かなお声に、月日のやしろとしての理を拝するのであります。厳しく理を諭し、優しく情に育んで、人々を導かれた足跡から教祖の親心が一層感じられるのであります。

教祖は親神様のやしろであります。親神様が教祖の御身に入り込んで、その思召を教祖のお口を通し、また筆に誌してお教えくださり、さらに、つとめとさづけという救済のてだてを示して、世界たすけの道をおつけくださいました。教祖はまた、親神様の思召をそのままに自ら実地に行い、私たち人間がその跡を慕って歩むべき手本ひながたを示されました。これを「ひながたの親」と言います。さらに、教祖は月日のやしろの扉を開いて現身をお隠しなされた後も、ぢば・元のやしきに御存命のまま留まり、私たち人間をお守りくだされ、人類救済の上にお働きくださっているのであります。このことを「教祖存命の理」と申し上げております。

天保9年10月26日、月日のやしろとなられた教祖は、明治20年陰暦正月26日にお姿を隠されるまでの50年間にわたり、世界一列の人間をたすけたい親心から、人間が陽気ぐらしへと進むためのひながたの道を身をもってお示しくださいました。教祖はまず、御自ら貧のどん底に落ち切る道を歩まれ、そのどん底から、付き来る人々には、真実の神・元の神に凭れ切るようにと諭され、次に人をたすけること、わけても親神様を拝んで人をたすけることを諭されたのであります。また、寄り来る人々に神の思惑あって引き寄せたこと、そしてやしきに伏せ込み、理の御用をするように仕込まれ、その道中、どんな中でも喜び勇んで先を楽しんで通るよう、楽しめ楽しめとお諭しくださいました。それでは今から、教祖が先人達にお諭しくだされた話を台に、その親心を少しお話しさせていただきたいと思います。

立教以来、「流れる水も同じ事、低い処へ落ち込め落ち込め」との思召のまにまに、16, 7年がかりで難儀の底に落ち込まれ、以後10年に及ぶ貧のどん底のさ中から、「をびやたすけがよろづたすけの道あけである」との仰せの如く、をびやたすけを道明けとして、谷底せり上げの道をおつけ下されたのでありますが、寄り来る人々にまず教えられたことは、真実の神・元の神が現れたこと、だから信じて凭れ切れば必ずたすかるのだということでありました。

「此の所八方の神が治まる所、天理王命という。ひだるい所へ飯(まま)食べたようにはいかんなれど、日日薄やいでくるほどに。(教祖伝45p)」
「あんたあっちこっちとえらい遠廻りをしておいでたんやなあ。おかしいなあ。ここへおいでたら、みんなおいでになるのに。(逸話篇10)」
「さあさあ待っていた待っていた。救けてやろ、救けてやるけれども、天理王命という神は初めての事なれば、誠にすることむつかしかろ。」
「神様は救けてやると仰るにつき案じてはいかん。(教祖伝49p)」

この点は、50年の道すがらに一貫してお説きくださるところであります。教祖は重ね重ね証拠を見せて絶対の信仰を培われました。をびや許しがまさにそれで、信じて凭れるなら必ず安産させてくださるのであります。

教祖の御心を我が心として通るよう皆励んだのでありますが、教祖は人をたすけることを常にお促しくださっており、先人達はそれを人生の方針として励んだのであります

「やさしい心になりなされや。人をたすけなされや。癖性分をとりなされや。(逸話篇123)」
「人を救けるのやで。」
「あんたの救かったこと人さんに真剣に話さして頂くのやで。」
「これはご供やから、これを供えたお水で人に飲ますのやで。(逸話篇100)」
「よう帰ってきたなあ、あんた目が見えなんだら、この世暗がり同様や。神さんの仰る通りにさしてもろたら、きっと救けて下さるで。」
「それやったら一生世界へ働かんと神さんのお伴さしてもろうて、人たすけに歩きなされ。(逸話篇24)」
「心配はいらんいらん。家に災難が出ているから早うお帰り。帰ったら、村の中戸毎に入り込んで、42人の人を救けるのやで。なむ天理王命と唱えて、手を合わせて神さんをしっかり拝んで廻るのやで。人を救けたら我が身が救かるのや。(逸話篇42)」

おふでさき

どのようなところの人がでゝきても
みないんねんのものであるから            四 54

と仰せいただくように、いんねんあって皆おてびき頂き、お引き寄せ頂くのでありまして、皆思惑の人であり、神のようぼくであることをお諭しくださいました。

「神に深きいんねんあるを以て、神が引き寄せたのである程に。病気は案じる事は要らん。直ぐ救けてやる程に。その代わり、おまえは神の御用を聞かんならんで。(逸話篇11)」
「案じる事はない。このやしきに生涯伏せ込むなら、必ず救かるのや。(逸話篇33)」
「さあさあいんねんの魂、神が用に使おうと思召す者は、どうしてなりと引き寄せるから、結構と思うて、これからどんな道もあるから、楽しんで通るよう。用に使わねばならんという道具は、痛めても引き寄せる。悩めてでも引き寄せねばならん。(逸話篇36)」

教祖はどんな中も、いそいそと明るい心でお通りくだされ、自ら以て、陽気ぐらしのひながたをお示しくだされたのでありますが、また先人達に、天の理を楽しんで通ることを、お諭しくださいました。

「水を飲めば水の味がする。(教祖伝40p)」
「節から芽が出る。」
「一年中一日も悪い日はない。皆良い日やで。(逸話篇173)」
「どんな辛い事やいやな事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで。(逸話篇144)」

このように教祖は温かい親心をもって先人達を導かれたのでありますが、これらはまた今の私達へのお諭しでもあると思われるのであります。現在、私達は教祖のお姿を拝することも、また御肉声に接することもできませんが、教祖は人間宿し込みの元のやしきに留まって、現身をもって教え導いてくださったときと同様に、日夜をわかたず世界たすけのためにお働きくださっているのであります。「おさづけの理」を通して、世界のあらゆる所で不思議なたすけを現されているという事実がその何よりの証拠でもあります。

さあ/\これまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てはせんで、日々の道を見て思やんしてくれねばならん。(明治23・3・17)

さあ皆よう思やんをして掛かれば危ない事は無い。影は見えぬけど、働きの理が見えてある。これは誰の言葉と思うやない。二十年以前にかくれた者やで。なれど、日々働いて居る。案じる事要らんで。勇んで掛かれば十分働く。心配掛けるのやない程に/\。さあ/\もう十分の道がある程に/\。(明治40・5・17)

冒頭にも申し上げましたように、おやさとぢばにおきまして、今月18日には教祖の御誕生祭がつとめられます。そして翌19日には婦人会創立百周年という記念すべき祭典も執り行われます。ここヨーロッパの地からも大勢の人たちが、御存命の教祖を慕って、親にお会いするために、おぢばに帰られることと思います。私達は教祖の親心にお応えさせていただくべく、日日の生活の中で、教祖のひながたの足跡をしっかりとたどらせていただき、そして私達の成人した姿をご覧いただくために、ぜひともおぢばに帰らせていただきましょう。。教祖は子供たちみんなが人類の「ふるさと」であるこのおぢばに帰って来るのを、いつも楽しみにお待ちくださっているのです。

ご静聴、誠にありがとうございました。

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