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2019年4月月次祭神殿講話

前飾東巴里出張所長 角本もと子

今月は教祖のお誕生祭の月です。この4月18日に御存命の教祖の221回目のお誕生日を本部神殿、教祖殿でとり行われます。

教祖は幼い頃からご両親や周りに思いやり溢れた子供だったと聞かせて頂きます。そして、天保9年10月26日に神の社となられてからも、親神様の親心をお伝え下され、我々人間達に心の成人を急き込まれ、陽気ぐらしへの道を自らの行いを通してお導き下さいました。

少し話が変わりますが、先月Kさんという飾東巴里出張所の信者さんが長女さん夫婦と子供さんと揃ってご参拝に来て下さいました。

Kさんは 初代所長・紺谷久則前大会長様の時代からの信者さんで、今日まで細々と信仰が続いております。Kさんは生まれつき眼が片方見えなくて、もう片方も赤ちゃんの世話をされていた時に赤ちゃんに蹴(け)られ、眼が見えなくなるところをおさづけのお陰で段々と御守護頂かれたのです。私は主人と一緒に毎月講社祭りに行かせて頂きおさづけを取り次がせて頂き、眼の検査がある時には必ず一緒にお連れさせて頂いた事を思い出します。

Kさんは数年後にはおぢば帰りをされ、おさづけ拝戴までされました。しかし、その後、少しづつ参拝が途切れてしまったりと、段々と繋がりが薄くなりがちになっておりました。また、Kさんも色々と事情や身上を見せて頂き、一時期は途切れそうにもなりました。しかし、こちらから足を運んで、お話を聞かせて頂き、続けて眼のおさづけを取り次がせて頂きました。その末、Kさんは再び月次祭の参拝に来て下さるようになりました。

そんなある日、洗濯場へ行く為のドアの鍵の問題で開かなくなり困っておりました。その事をKさんに相談させて頂いたところ、Kさんは錠前屋(じょうまえや)をされておられる主人を持つ娘さんに連絡をして下さり、娘さんと一緒にそのご主人は速仕事帰りに鍵前(じょうまえ)を取り替えに来て下さいました。Kさんの娘さんご夫婦にお会いするのは数年振りの再開でした。Kさんの娘さんは麻酔専門の看護師をされておられ、同じ職業から私の娘とも話が弾(はず)み、その旦那さんも一生懸命に鍵前(じょうまえ)を直して下さいました。その後、お礼も含めてお誘いさせて頂いたところ、Kさんとその娘さんご夫婦とその子供さん3人揃って初参拝に来て下さいました。

本当に有り難く嬉しい限りでした。

神殿では、私の娘が天理教について説明をさせて頂きました。初めて天理教と触れる若者達にも理解してもらえる内容、彼らにも一番身近に感じられる「親への感謝」について説明させて頂きました。

娘の説明はこのような内容でした、「あそこに見える写真は父の写真です。あなた達のおばあさんは父の事を昔からよく知っておられます。また、あなた達が今ここにいるのも、おばあさんとあなた達を産んで育てて下さったご両親のお陰です。私は小さい頃から天理教の教えを聞いて育ちました。その中で、私は「親に感謝」をする事の大切さを学びました。私達にはそれぞれ「親」がいます。お父さん、お母さん、お婆ちゃん、お爺ちゃん、ひいおばあちゃん、ひいお爺ちゃん、ひいひいお婆ちゃんとひいひいお爺ちゃん・・・そして、その親おやを遡って行くと、最後には人類の親にたどりつきます。その、人間の最初の親の事を天理教では「親神様」と呼ばせて頂き、我々は毎日親神様に「今日も元気でいさせて頂いてありがとうございます」と感謝の気持ちをお伝えさせて頂くのです。」

説明が終えたら、娘が参拝の仕方を説明させて頂き、皆で参拝をさせて頂きました。

鍵が開かないという小さな節を見せて頂いたお陰で、長年繋がりが切れていたMさんの子供さんやお孫さんと再び再開させて頂き、これからも繋がりを持たせて頂くことが出来ました。この小さい節にはやはり親神様の大きな親心が込められていることを改めて感じさせて頂きました。

次は、2年前にお話させて頂いた心臓移植をされた方のお話をさせて頂きたいと思います。

Aさんは16歳の時から飾東巴里出張所に通われておられました。元々は彼女のご両親が初代で信仰を初められました。そして、Aさんは母親と、そして結婚されてからは、旦那さんと、よく月次祭に参拝に来られては、座りづとめ、または男鳴り物女鳴り物を勤めて下さいました。そんな彼女は生まれた時から重い心臓病を患い、幼い頃から入退院を繰り返しておられました。しかし、彼女は元々明るい性格で、お道の教えも前向きに学ぼうとしておられました。そして、2015年の5月に移植手術が行われ、その際には、大教会の方でもしっかりお願いをして下さり、Aさんのご家族含め我々も、彼女の無事を祈る一心でした。入院されたAさんのおたすけに行かせて頂く際には、Aさんの母親、義理の父親、ご主人とまず神殿で参拝をさせて頂いてから、我々も一緒に病院に行かせて頂きました。また、寝たっきりのAさんは、おさづけ取り次ぎの際には、弱った手を頑張って合わせて、素直に真剣に受けて下さいました。手術直後には、強い腰痛・頭痛、また脳血栓を患ったりと、「山あり、谷あり」のような日々を送られました。そんな中でも、少しづつ回復をされ、色々とありましたが、3年と期間を与えて頂いた末に彼女は去年出直されました。Aさんの人生は病院生活が長かった反面、ご両親やご主人には一生懸命支えられ、周りの方からも沢山の応援を頂かれました。

その数ヶ月後にはAさんの旦那さんが久しぶりに参拝に来られました。飾東巴里出張所にはやはりAさんの思い出が強い為、神殿に上がられるのも辛かったそうです。しかし、またその数ヶ月後には月次祭に出られるようにまでなられました。Aさんの旦那さんはこの大きな節にもめげず、続けて月次祭に来て下さったのです。そしてその際に、「田舎に住む両親も月次祭の時間に合わせておつとめを勤めさせて頂くと言っておりました。」と仰って下さいました。

おさしづに、

さあ/\人間というは、一代と思うたら違う。生まれ変わりあるで。(明治39年3月28日)

とのお言葉にありますように、人生は何度も生まれ変わり出変わりするのです。

私はAさんのご主人にこのことを説明させて頂きました。教祖はこのことを、更衣(こうい)にたとえて諭されています。すなわち出直すということは、古い着物を脱いで、新しい着物を着るようなものだと、仰せられているのです。

こうして、Aさんの旦那さんが続けて来てくださるのも、彼自身の誠真実であり、またご両親の真の誠真実があっての事だと思わせて頂きます。本当に有難く素晴らしい事だと思わせて頂きます。

こうして親から子に信仰が繋がるという事は本当に素晴らしい事です。しかし、それは親子だからと言って「当たり前」だとは限りません。むしろ、子供本人が自ら信仰心に芽生える事はとても大切な事なのではないでしょうか。

教祖はこのようにお教え下さいました、

おふでさきには、

をやこでもふうへのなかもきよたいも
みなめへへに心ちがうで五号―8

と、おふでさきにお歌いくださいます。

また、おさしづには、

親子兄弟同んなじ中といえども、皆一名一人の心の理を以て生れて居る。何ぼどうしようこうしようと言うた処が、心の理がある。何ぼ親子兄弟でも。(明治23年8月9日)

ともお教え下さいます。

つまり、子供自身がお道の素晴らしさを見に感じるところには、やはり親自身の行いと導きがあるのだと考えさせて頂きます。

また、現在来て下さっておられる信者さん方は、今無き主人の常識を超えた親切、そして言葉と態度で表した真実のお陰だとつくづく思わせて頂きます。主人の態度などを見て下さり、主人に感謝の気持ちも含めて、続けて月次祭に来て下さっておられるのだと思います。こうやって、主人は私では手が届かないところもたすけて下さり、お互い助け合いながら歩ませて頂いた道が現在に繋がって来ているのだと確信させて頂きます。

そして、日々生活させて頂いている中に親神様の深い思いが所々に込められている事にも、また改めて感じさせて頂く今日(こんにち)です。

ご静聴ありがとうございました。

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