Tenrikyo Europe Centre

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2019年1月大祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長 長谷川善久

さて、私達をご存命で絶えずお導きくださっている教祖、中山みき様が、お姿をお隠しになられた日、明治20年1月26日(1887年1月26日)に起因して勤められるのが、先程つとめた1月の大祭です。その意義とは、教祖がお姿をもって人々をお導き下さった「ひながた」最後の日々を我々が、もう一度思い起し、その親心に改めて感謝を捧げることです。

世界たすけを進めるうえから、25年の定命を縮め人間を救うために姿を隠し、広くおさづけの理をお渡しくださるようになった下さった教祖に感謝の念を持つことは、そのまま、困っている人に寄り添い、親神様の存在を知らせ、心の入れ替えを通してたすかって頂くという思し召しにお応えしているだろうかと自問することに繋がると思います。

そして、教祖が人間につとめるよう急き込まれたこと、それが「おつとめ」でありました。このようなおつとめですから、勤めるときには、親神様からお貸し頂いている身体を始めとして、家族、人間関係、食べるもの、住むところ、社会的立場など全てのものに感謝する念を心に浮び上らせ、真剣な気持ちでおつとめを勤めることが大切です。また問題を抱えている家族や友人があれば、その人達の状況が少しでも良くなるように神様にお願いすることも忘れないようにしていただきたいと思います。

おつとめを学び、つとめることは、簡単ではありません。日本人であってもおてふりを覚えるには、相当の時間が必要です。ですから、日本語を理解しない方にとっては尚更なのは言うまでもありません。

しかし、難しいからといって、おつとめを学ぶ努力を止めてしまえば、誰よりも教祖が一番残念に思われるのです。

そうならない為に、私が、皆さんに具体的な行動努力の一つとして提案したいことが、出張所の設立50周年記念祭に向けたヨーロッパ全信者の成人目標として最初に掲げている、本を見ながらで十分なので、とにかく「座りづとめから12下りまでのみかぐらうたを全て歌える様になろう。」です。

途中、間違えても構いません。恥ずかしがらずに大きな声で歌って頂きたい。まずは、座りづとめ、その後、よろづよから12下り目までを月次祭の時、地方と一緒に歌えるように努力させて頂きましょう。

私などは、真剣に歌い踊る事で、長いおつとめの最中に思い浮ぶ雑念から逃れることができ、その時間だけは普段以上に、親神様、教祖と心が繋がった感覚が得られ、実際に身体の奥底から温かいものが心に込上げてくる感覚さえ覚えたことがあります。身体全体が躍動し、心にも何かが働きかけているような感覚でした。心に積重なった私の親神様が、いつも以上に掃除してくださっていたのかもしれません。

実際、天理教の信者に取りまして、一日も忘れることのできなものは、みかぐらうたです。「おつとめ」の地歌であるみかぐらうたは、教祖が自ら作り、節もつけ、手振りも教えられました。

ですから、入信の最初に教えられ、生涯を通じて朝づとめ、夕づとめに唱えるばかりでなく、心がつらいなど、折に触れて時に応じて唱えるのです。唱える度毎に、心に不思議なたすけをあたえられるこのお歌は、我々おみちの者の信仰的生命の源泉であって、言わば、日本人にとってのお米。ヨーロッパ人にとってのパンなのです。

このお道の信仰で喜びを増やす為には、具体的な行動を通して体感し理解する必要があります。つまり、教理はただ耳で聞き、目で読むだけでは駄目で、それを身をもっておこなう中に、本当の信仰の喜びが与えられるのです。

おさづけを通して、いくつもの不思議なご守護を頂かれた深谷忠正先生は、みかぐらうたについて以下のように記しています。

みかぐらうたは、単に机に座って読むべきものではありません。それは行動に実践化されなければならないものであり、又、自分一人で唱えるものではなく、人々に唱えてもらい合唱されなければならないものであります。即ち、世界一列が心を一つにして、親神様に祈念する言葉であります。

死の一歩手前をさまよう性の苦しみのどん底においても,又、全く世間から隔離されて、ただ独り取残された冷たい獄舎の中においても、自ずと口ずさまれ、全く絶望しきったその人の心の中に、不滅の灯火を点ずるものは、みかぐらうたであります。また、お助けに入ってうまくご守護が頂けず、遠い道を独りとぼとぼ帰る途中、自ずと口ずさむみかぐらうたに、怖さも忘れ、疲れも何処へやら、教祖のひながたを偲び、先人の丹精を思い、感激の涙に暮れて勇躍した体験は、布教師の誰しもが経験したことでありましょう。

世界を救ける上から、貧のどん底に落ちきられ、又、十数度に亘り獄舎にご苦労下さいました教祖のいぶきを、又、泥海の中から、ない人間、ない世界を創造されました元の理のお話を思い較べずにはいられないような、未だ、いろはのいの字も知らない人をうまずたゆまず導いて、立派なお道のよふぼくに育て上げられた教祖の親心をしみじみとみかぐら歌の中に感じるのは、ただ、私一人のみでしょうか。」

正に、みかぐらうたは、尽きることのない教祖の親心に浸ることのできる一番身近なものであると思います。悲しみの最中に喜びを見出だし、苦しみのなかにも楽しみをもって、また孤独の寂しさも忘れて、私達はみかぐら歌を陽気に歌い、また歌うことによって、心が陽気に勇みたってくるのが、みかぐら歌なのだと深谷先生は教えて下さっています。しかしながら、このようにみかぐらうたの重要性は、頭では良く分かっても、実際に行動に移すとなるとためらう方も多いかと思います。私もある人から、「歌ったほうが良いのは分かっていますが、どうしても練習不足で、間違えるのは教祖に申し訳ないと思うのです」という話を聞いたことがあります。

こう言われると、もっともらしく聞えますが、逸話篇74「神の理を立てる」には、努力の中で起こる間違えを心配する必要など無いことが書かれてあります。

七四 「神の理を立てる」

明治十三年秋の頃、教祖は、つとめをすることを、大層厳しくお急き込み下された。警察の見張、干渉の激しい時であったから、人々が躊躇していると、教祖は、

「人間の義理を病んで神の道を潰すは、道であろうまい。人間の理を立ていでも、神の理を立てるは道であろう。さあ、神の理を潰して人間の理を立てるか、人間の理を立てず神の理を立てるか。これ、二つ一つの返答をせよ。」

と、刻限を以て、厳しくお急き込み下された。

そこで、皆々相談の上、「心を定めておつとめをさしてもらおう。」

ということになった。

ところが、おつとめの手は、めいめいに稽古も出来ていたが、かぐらづとめの人衆は、未だ誰彼と言うて定まってはいなかったので、これもお決め頂いて、勤めさせて頂くことになった。

又、女鳴物は、三味線は飯降よしゑ、胡弓は上田ナライト、琴は辻とめぎくの三人が、教祖からお定め頂いていたが、男鳴物の方は、未だ手合わせも稽古も出来ていないし、俄かのことであるから、どうしたら宜しきやと、種々相談もしたが、人間の心で勝手には出来ないという上から、教祖に、この旨をお伺い申し上げた。すると、教祖は、

「さあ/\鳴物々々という。今のところは、一が二になり、二が三になっても、神がゆるす。皆、勤める者の心の調子を神が受け取るねで。これよう聞き分け。」

という意味のお言葉を下されたので、皆、安心して、勇んで勤めた。

山沢為造は、十二下りのてをどりに出させて頂いた。場所は、つとめ場所の北の上段の間の、南につづく八畳の間であった。

「さあ/\鳴物々々という。今のところは、一が二になり、二が三になっても、神がゆるす。皆、勤める者の心の調子を神が受け取るねで。これよう聞き分け。」

この言葉は、今、このヨーロッパで信仰を進めている私達にも当てはまることだと思います。

例え、練習が不十分であっても、教祖は、「心の調子を受け取る」と仰ってくださてちるのです。心の調子とは、例えまだ鳴物おてふりが出来なくとも、道の兄妹と心をあわせて陽気におつとめに参加したいという真実の心です。みかぐらうた4下り目の4つ 「夜、昼、どんちゃんつとめする、そばもやかましうたてかろ」、そして5つ 「いつもたすけをせくからに、早く陽気になりてこい」とあるとおりです。今年もヨーロッパ出張所に繋がる皆さんに向けて、教会本部表統領 中田善亮先生から、年賀状が届きました。

そのメッセージには、「本年も、地域の陽気ぐらしの実現に向けて、日々頂戴するご守護への感謝とご恩報じの心を胸に勇んでお勤めください」とありました。

立教182年、ヨーロッパ出張所50周年記念祭まで後、1年と9ヶ月となりました。今年もヨーロッパ信者が揃って「みかぐらうた」により親しみながら、親神様、教祖への感謝とご恩報の心で、身近な人々に陽気ぐらしの手本となるよう努めさせていただきましょう。

ご静聴ありがとうございました。

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