Tenrikyo Europe Centre

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2012年1月大祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長 田中善教

皆様方には、日頃はお道の御用の上に何かとお骨折り下さり、また本日は一月の大祭に、寒い中、遠近を問わずご参拝下さり、誠に有り難うございます。

また、ただ今は皆様方とともに勇んでおつとめを勤めることができ、大変嬉しく思っています。親神様教祖にもお勇み頂けていることと思います。

約3年前、私はヨーロッパ出張所長という、大切な役割を頂きました。この3年間を振り返りながら、本日は、陽気遊山が見たいと仰られた「親」の思し召しから始まったこの人間世界の「たすかり」について、皆様と一緒に考えてみたいと思います。少しの時間おつきあい頂けますようお願い致します。

一月大祭

ご存知の通り、この一月の大祭は、明治20年陰暦正月26日に教祖が現身を隠されたことが、この大祭の元一日です。

この大祭を勤めるにあたり、心に留める点が三つ有ると思います。

一つ目は、つとめ
二つ目は、さづけ
三つ目は、教祖ご存命

です。

現身を隠されてまで教祖がせき込まれたのは、「つとめ」でした。

つとめさいちがハんよふになあたなら
天のあたゑもちがう事なし10号 34

この「つとめ」こそ、人間のたすかりの「元」といえます。

次に、「さづけ」です。

教祖が現身を隠されて後、次のような「おさしづ」がありました。

「さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん/\に理が渡そう。」

と仰られ、だんだんと、さづけの理を拝戴できるようになりました。

そして教祖は、ご存命のまま、世界たすけに、今も働かれています。

おさしづに:

「さあ/\これまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てはせんで、日々の道を見て思やんしてくれねがならん。」

とあります。

私たちの生き方は、日々は、朝夕おつとめを勤め、病気の方がおられたら、神様のお話を取り次ぎ、ようぼくならば「おさづけ」を取り次ぎ、そして「ひのきしんの精神」で日々を送ることだと思います。そして月に一度の月次祭を勇んでつとめたいと思います。

所長就任の頃

さて、私は2009年3月、出張所長に任命を頂きました。この時、ヨーロッパの各地に住まう教友の方々とどのように繋がっていったら良いのか、また、この地で教祖の教えをどのように伝えていったら良いのか、分かりませんでした。恥ずかしながら、欧州のお道の現状、社会の現状を全くと言ってよいほど分かっていませんでした。

そこで行き着いた考えは、ます、私の力でヨーロッパ布教を行うのではないこと。そして、親神様教祖にお働き頂く事で、教友の方々が繋がり、また、お道がこの欧州の地に根付いていくという事でした。
また、私の信じているこのお道が間違ってないのであれば、人間は皆、一人残らず、今、親神様のご守護を頂いて生きているのであり、その人間は、皆、親神様の子供で、いつか必ず「世界たすけ」の親の思いがその心に伝わっていくに違いないということでした。
お陰で心が少し楽になりました。そして、親に凭れて、まず、 おつとめをしっかりと勤めるよう心がけました。朝夕、欧州の皆様方と、物理的には離れていても、心を合わせておつとめを勤めようと思い、それを実践しました。祈りによって、遠く離れた方々の心とも繋がっていけるような気がしました。

欧州の広がり・大きさ

そして今、約3年がたち、この欧州の広がりが、ほんの少し分かってきました。

この広がりを、地理、文化、そして一人ひとりの心の三つに分けて、話を進めたいと思います。

地理について言えば 、例えばパリからマドリッドへは飛行機で約2時間、飛行機代は100ユーロほど。そこの気候はどうなのか。そしてどの町にどのような方が住んでおられるのか。この程度のことが少しずつ分かってきました。

文化的広がりとは、その地域地域の文化の多様性、考え方の傾向などです。
この点はまだよくわかりません。私なりに感じた事は、特にこのフランスに住んでいる方々ですが、「自分の考えを大切にする」、「自分の生き甲斐を持つ」、「『自由や個性』というものに価値を与える」ということが言えるのではないでしょうか。すなわち、多くの人が、自分らしく主体的に人生を生きたいと願っているように私には見受けられます。

次に「心の広がり」に付いてですが、この3年間で、広い欧州のごく一部の方ですが、色んな方々と知り合う事ができました。
何を生業に生きておられるか
何を大切にされておられるか
何を喜ばれ、何に苦労されておられるか
お道に対してどのような思いを持っておられるか
このような事が、ほんの少しですが、知ることができました。

そして、このように、色んな方々と繋がりを持つ事ができた事が、一番の私の喜びでもありました。

まだまだ分からない事ばかりですが、それでもこのように、少し欧州の広がりが体感できるようになりました。

人間の共通点と天理教の「たすかり」

さて、多様な文化が共存しているこの欧州では、地域地域で価値観が違い、また当然一人ひとりの心も違います。しかし、その違いを超えて、私たち人間に共通する事があると思います。

それは、困っているときにたすけて頂けたら、誰でもが嬉しいという気持ち。これは万人に共通ではないかと思います。

そして、人がたすかって喜ぶ姿を見る事が、私たちお道の人間の楽しみではないかと思います。また、天理教における真の「たすかり」とは、このように、「人がたすかっていく姿、仕合せになっていく姿をみて喜べる人になること」だと私は信じます。「ひとだすけの実践」こそ、私たちが「たすかり」に向かっている証拠だと考えます。

おかきさげに、

「人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。」

とあります。

自分がたすかるためには、人をたすけることです。そして、人たすけに努める所に、自分の心の埃も払われ、人の喜びを楽しむ心へと自分の心が変わっていきます。この姿を見て、親神様も喜ばれ、十全のご守護を一段と表して下さいます。これが、人間が陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しみたいと、親神様が創造された人間世界の大原則だと思います。

そして、お道の「人たすけ」とは、自らのたすかりを願っている方を、人のたすかりを願って生きる道、すなわち教祖の道に導く事だと思います。

この人のたすかりを願って生きる心をもって、「おさづけ」を取り次ぎ、また、この心で「おつとめ」を勤めることが、何より存命の教祖にお喜び頂き、親神様のご守護を頂ける元です。

「たすかり」と主体的な人生

お道では、「願い通りの守護」を頂けるのではなく、「心通りの守護」を頂けると聞いています。もし、私たちの心が、親(親神様教祖)の思し召しに添う事ができるようになれば、私たちの「おもひ通り、おもわくどほり」の人生をおくることができると聞いています。少なくとも、「たすけてやろう、たすけてやろう」という親の声を聞く事ができます。掴む事ができます。これこそまさに、フランス人が望むような、主体的な生き方ではないでしょうか。
そして、何より、親神様は人間に心の自由を許されています。

「たすけあい」と個性

さて、人様に喜んで頂く方法は、千差万別です。人それぞれ喜びも違えば、喜ばし方も違います。ここで私たちは、個性を十分発揮できるのではないかと考えます。

例えば、私の家内は料理が好きで、ご馳走を作り人様をもてなす事ができます。私にはそれができません。幸い誰も私に「料理を作ってくれ」とは言いませんが、、、。しかし、私はスポーツが好きで、子供も好きです。ですから日本にいたときは、毎週日曜日に、小学生にラグビーを教えていました。子供にも、その親御さんにも喜んで頂きました。今は、駅前清掃をしているので、「掃除が好き」と言いたいのですが、自分の部屋の汚さを皆さんご存知なので、それは言えません。

大切なことが一つ、ラグビーを教えるとき、私が「こうしてラグビーを教えられるのも、神様のご守護のお陰、健康のお陰」と心に思えば、ラグビーを教える事も、「ひのきしん

」となります。

個性を尊重し、主体的な人生を願う欧州の方々に、お道の教えは、まさにうってつけという考えに私は今至っています。如何でしょうか。

出張所開設40周年記念祭と真柱様のお話

さて、2010年9月、出張所開設40周年記念祭を皆様と一緒に執り行うことができました。この時、前日のおつとめ学びでは、ばらばらだったおつとめが、当日、真柱様を芯として勤めさせて頂いた時、皆の心が一つになり、素晴らしいエネルギッシュなおつとめを勤める事ができました。これは私にとっても一生の宝物です。

親を芯として集う事の大切さとそのパワー(親を芯に集う人々のパワー)を体感しました。

またこのとき、真柱様より出張所の意味に付いてお聞かせ頂きました。

出張所の役割は、「修理肥やしの芯」であり、「たすけ一条の拠点」であるとお示し下されました。そして、「そこに住む人、そこに出入りする人の心から生れる雰囲気が陽気に勇んでいるというところに意味がある」と聞かせて頂きました。

この出張所には、親神様教祖をお祀りしております。「親」がおられます。親のまわりに人は集ります。
この三年間、「親」のご守護を頂き、そしてここにおられる皆様方、また、欧州各地の布教師の方々、また信者の皆様のお陰で、多くの方をこの出張所に迎えさせて頂きました。
私は多くの人がより集い、陽気で賑やかなことが大好きです。この賑やかな日々がとても有り難かったです。そして、教祖にもきっとこの陽気な姿を見て、喜んで頂けたのではないかと思います。しかし、一方で、「(美味しいフランスワインを飲みながらでも良いので、)もっともっと神様の話をしてくれたら嬉しい」と教祖が思っておられるのではないかとも思っています。

また、

「皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。」(明治30年12月11日)

というおさしづがあります。
私にはそのような傾向がなかったとは言えず、反省をしなければなりません、、、。

とはいえ、自分の望みにあった役割を与えて頂けた事が、なによりありがいことでした。自分が嬉しいと思えることで、少しでも人の役にたつ事ができる場所を与えて頂く事が、人間の幸せだと実感しています。

さて、私は来月2月末をもって、この出張所からひかせて頂く事になりました。本日が、私が勤める最後の神殿講話です。それで、この場をお借りして、皆様方に御礼申し上げたいと思います。本当に有り難うございました。
三年という短い期間でしたが、私と家内に取っては、有り難く、充実した年限でした。

真柱様は「陽気ぐらしは、簡単に言えば、親神様の思召に相応しい陽気づくめの生活ということができると思いますが、その思召にふさわしい雰囲気が、出張所に行けば味わうことができるというのが、陽気ぐらしの手本の意味であると思います」と仰られました。
この手本を目指して、これからも、残り少ない時間ですが、皆様と共に努めたいと思っております。

ご清聴有り難うございました。

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