Tenrikyo Europe Centre

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2023年8月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長夫人 長谷川真理子

皆様ご承知のように、昨年10月26日に真柱様より諭達第四号を御発布いただきました。教祖140年祭に向かう三年千日の真っ只中であります。出張所でも朝夕拝読をしておりますし、皆様も何度となく読まれていることと思います。何度も拝読するうちにそれぞれに心に思うこと、気に留まる箇所があるかと思います。今日は私が感じましたことをお話しさせていただきます。

まず、諭達の中で真柱様が「〜したい」と仰られた箇所は2つ、冒頭の「全教の心を一つにしたい」というところと、文末の「この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、教祖の年祭を成人の節目として、世界たすけの歩みを一手一つに力強く推し進め、御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。」というところです。

一つ目の全教の心を一つにするとは、お道の言葉を使いますと「一手一つ」と言い換えることができるかと思います。四月におぢばで行われました婦人会総会では、代読ではありましたが、真柱様よりメッセージを頂戴いたしました。その中にこの「一手一つ」について、次のようにお話しくださいました。

一手一つは、親神様の思し召しを心に信じ、一人一人が銘々のつとめを懸命につとめることによって現れてくる、親神様のご守護である。

みんなで同じことをするのが一手一つではなく、それぞれがつとめを遂行する中、その心は親神様を信じるという同じ思いであるということ。行動は別々でも思いが同じであることが大切なのだということです。みなさん一人ひとりに言われていることであり、他人事のように私はやらなくてもいいという心ではダメなのです。全員がやるのです。

そして二つ目の、教祖にご安心いただくこととお喜びいただくということ。「ご安心頂きたい」とは、今は安心していただけていないということ、心配している・または不安に思っているということです。お子さんがおられる方ならより想像しやすいかと思いますが、親は子供のことを、周りの人と仲良く過ごしているか心配をし、よりよい将来になるかと不安に思うでしょう。教祖も同じであり、私たちの今、そして将来を心配しておられるということを仰られているのだと思います。

諭達の中でいくつかの教祖のお言葉を引用されています。その中の一つ

ひながたの道を通らねばひながた要らん。(略)ひながたの道より道が無いで

とあります。また、ひながたについて婦人会総会のお話しの中で真柱様は、

どんな辛い困難な状況にある中にも、必ず親神様のご守護があることを教えられていると、教祖のひながたから悟るのであります。誰の心の中にも多かれ少なかれあるだろう、物事への執着やわだかまりを取り除くと、そこには普段は見逃している親神様のご守護の数々が見えてきて、知らず知らずのうちに心は晴れて明るくなり、喜びが浮かび上がってくるということをお諭しになっていると思うのであります。

とお話しくださいました。

教祖がお示しくだされたひながたの道を通ることで親神様の御守護がわかり、心は晴れ喜びが生まれる。そしてひながたを辿る上で大切なことは、諭達にも書かれています「教祖親神様のお心のままに、心明るくお通り下された。」ということです。この「心明るく」が大切なのだと思います。

さて、諭達の末尾にも書かれてあります、教祖にご安心いただき、お喜びいただく通り方とはどのようなものなのでしょうか。

一般的に親が喜ぶことはなんだろうかと考えた時、もちろん究極的には、子供が元気でいてくれたらそれで良いと思うでしょう。その次は、子供自身が自分のことで頑張っていること、例えば勉強やスポーツ・仕事を一生懸命がんばっている姿を見たり、そのことで良い結果が出たら喜ぶでしょう。またはゴミを拾っていたりしたら親は喜ぶかもしれません。わたしが思う親が喜ぶこととは、自分の子供が人を助けていることではないでしょうか。

泣いている人がいたり、落ち込んでいる友達がいて、それを慰めていたら「うちの子はなんてやさしいんだろう」と感激するのではないでしょうか。さらには困っている人に手を差し伸べていたり、力を貸していたりしたら、この上なく喜んでくれるに違いありません。

もう一つの親が安心するとは、一般的に考えますと、子供の将来の見通しがたったり、自立しているなと思えたなら、親は安心するのではないでしょうか。信仰的に考えますと、親から言われた信仰ではなく、子供が自分で信仰を掴み、また人から言われたからやっているのではなく、自分で決め自分で信仰人生を歩んでいくなら教祖はきっとご安心くださるのではないでしょうか。ひとりひとりはいうまでもなく、子供たちが互いにたすけあっている姿が親の喜びなのかもしれません。

約2年半後の教祖140年祭へ向けて、ヨーロッパの教友が共に、教祖のひながたを胸にすすむ先には「必ず成程という日をお見せ頂ける」と力強く仰せいただいています。できない日があっていいと思いますし、失敗してもいいのです。みんながその日までやり続けることが大切だと思います。それぞれが目標を決め、少しずつでも、小さいことからでも実行にうつして、教祖に成人した姿をご覧いただき、お喜びいただきたいと思います。

簡単ではありますが、今日の講話とさせていただきます。

ご清聴ありがとうございました。

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