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2016年11月月次祭神殿講話

青年会本部委員 山田作雄

この度、こちらに参らせていただくにあたり、おぢばとフランスは、距離にするとどれだけ離れているのか?と少し気になりまして、パソコンで調べました。9600キロ離れているんですね。約1万キロおぢばから遠いこの地で、ご存命の教祖の御教えを信仰されている皆様にお会いできましたこと、本当に嬉しく思わせていただきます。ありがとうございます。

さて、親神様が教祖の口を通して初めに仰せになられたのが

「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい。」

とのお言葉でありました。私、このお言葉を読ませていただく度に、親神様の目的は、世界いちれつをたすけること、世界中の人間を苦しみから救け上げること。であり、そのお心は今も変わらず、親神様はお働きくださっていることに感動するのであります。

このお働きは、日本であっても、フランスであっても、どこの国であっても同じでございます。今日の日に皆様のお顔を拝見させていただきながら、変わらぬ親心と、御守護にありがたく思わせていただくのであります。

先月、10月26日、おぢばにおいて秋季大祭が執り行われました。神殿講話にお立ちくだされた真柱様は、日常生活においてのお道の信仰者としてのあり方について再確認するために、かしもの・かりものの理合いについて強調してお仕込みくださいました。そして、八つのほこりを台に、心づかいについて細かくお話しくだされ、親神様の御守護に対して喜びや感謝を表す行いである、ひのきしんについてお話しくださいました。

私自身、おぢばで参拝させていただきながら、自らの心使いや行いを反省させていただき、改めて心を澄ます努力をしようと決心させていただいたのであります。そこで、今日は、親神様のお働きをいただいて、世界いちれつをおたすけいただくために、もっと砕いて身近なことで考えますと、皆様方の親子、家族や周囲の友達が、たすかる、陽気に日々を暮らしていくために、我々はどのような心を使い、身に行うことが望ましいか、ということを考えてみたいと思うのであります。

教祖は、人の目に見えない心を水に例えてお諭しくださいました。綺麗な水は飲めますし、水に物を映すこともできます。逆に濁った水は飲むことも、物を映すこともできません。そう考えますと、心が濁っていれば、親神様の思し召しを悟ることも、汲み取ることもできません。ですから、おつとめを一生懸命につとめて、ひのきしんに励んで、心を澄ましましょうね。と教えられました。心が澄めばどうなるのか、これはおふでさき

心さいすきやかすんた事ならば
どんな事てもたのしみばかり(十四 50)

とお教えいただく通り、心が澄んだなら、どんなことがあっても、どんな時でも全て楽しみばかり、喜びばかりである。こう教えてくださるんです。逆に、心が濁っていたなら、どんなことも喜べないし、楽しめないんです。皆さん考えてみてください。楽しみばかりなのと、楽しくないばかりなのと、どちらがいいですか?楽しみばかりの方がいいと皆さん感じると思うのです。

そうは思っていても出来ないのが人間であります。知らず知らずのうちに不足不満をしてしまいます。心が濁ってくるのであります。心が濁るのは埃が混じっているから濁るんですね。

そういった埃の心使いを八つのほこりに例えてお教えくださいます。八つのほこりとは、「おしい・ほしい・にくい・かわい・うらみ・はらだち・よく・こうまん」とお教えを頂きます。これは端的に言えば、陽気ぐらしに邪魔になる心使いと言えます。少し具体的に言えば、人のために働くのを惜しむ心や、物を惜しむ心、何もせずに物を欲しがる心、人を嫌い憎む心、自分さえよければいい心、自分や自分の子供だけかわいがる心、自らを省みず人を恨む心、短気になって腹を立てる心、人よりも良いものを着たい食べたい欲の心、金を必要以上に儲けたい欲の心、威張って人を侮る心、などなどが埃の心使いでありましょう。

真柱様は

「八つのほこりは、最も身近な常日頃の心づかいに関する教えであります(中略)口では唱えはしても、家庭や職場といった現実の生活の中で忘れてしまっているようでは、なんにもならないと思うのであります。日ごろの心づかいを諭されたものであるからには、毎日の生活、言動に生かすよう心がけなければならないと思うのであります。」

とお話しくださいました。八つのほこりを積まないように、しっかりと身に行い、心に治める日々がなければいけない。ということであると思案するのであります。ただ、こういった心使いをしないでおこう。と頭では分かっていながら、人間思案が先に立ち、毎日少しずつ埃を積んでいることがあります。

ほこりの心づかいをしてしまった。と思った時には、親神様のお教えくださいました、おつとめを勇んでつとめ、ほこりを払うことが大事でありましょう。また、八つのほこりと教えられることの逆の心使い、即ち、陽気な心で、人に喜んでもらおう、たすかってもらおう、という心で毎日を過ごし、お借りしている身体を存分に使って人に接しさせていただければ、必ずやお互いの運命はけっこうなものになっていくと信じるのであります。

昨日、青年会総会でも申し上げましたが、これから青年会は「親孝行・夫婦仲良く」ということにスポットを当て、「日々の陽気ぐらしの実践」に取り組んでいきます。これも、一番身近な親子関係から始め、更には全世界の人が親神様のお心に添うて陽気ぐらしができるよう、世界いちれつがたすかるよう、足元から見つめ直していこう。ということであります。

「お道の者らしい、常日頃の言葉づかいや行動は、自らの毎日を陽気にするだけでなく、周囲の人々に対しても、弛まずしてお道のにをいをかけることになるでしょう。」とお話しくださいました真柱様のお心に添って、毎日の暮らしの中で、親神様の思し召しを悟り、どうしたら人さんたすかるかな、どうしたら喜ぶかな、そんな思案をもとに陽気な日々であっていただきいのであります。そうすれば、お互いにけっこうにならせていただけると信ずるのであります。

今日の日に皆様とお会いできましたこと、本当に嬉しく、ありがたく思わせていただきます。ご参拝の皆様方の健康と、陽気な喜びに溢れる日々を心よりお祈り申し上げ、私の話を終えさせていただきます。

ご清聴ありがとうございました。

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