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2013年9月月次祭神殿講話

本部員 永尾教昭

2016年に教祖百三十年祭を迎えるにあたり、昨年10月26日秋季大祭の祭典後、真柱様は諭達第3号を発布されました。諭達とは、特に天理教の大事な時にあって、真柱様の思し召しを全教に知らしめ、その思いにそって全教が歩む指針です。

諭達の中で、

「50年にわたるひながたの道をお遺しくだされた。この間、たすけづとめを教え、万事の元を明かして道の次第を整えられ…」

と述べられています。

私は、宗教の教祖で、50年もの長きにわたって、教え導いた例はあまりないのではないかと思います。イエスが布教をしたのは約三年と言われています。教祖は、50年に渡って私たちが信仰をする上での、教科書を遺してくださいました。

また、おふでさきには、万事のことをお述べ下さっています。しかも、教祖自らお書き下されたのです。聖書はイエスの死後、百年ほどのちに編纂されています。し、仏教の経典もイスラム教のコーランも、すべて教祖(きょうそ)亡き後に編纂されています。

さらに

「存命の理を以て、今も変わることなく、世界たすけの先頭に立って、私たちをお導き下されています。。」

と述べられています。

私は、この道の信仰は、教祖が存命で働いておられるということを、絶対的に確信することから始まると思います。

おふでさきに、

にんけんをはじめたしたるこのをやハ
そんめゑでいるこれがまことや(第八号37)

とあり、おさしづには、

さあ/\これまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てはせんで。日々の道を見て思やんしてくれねばならん。(明治23.3.17)

と述べられています。

後ほど私自身の不思議な体験を述べますが、お姿は見えないが教祖は働いてくださっています。このことが信じられないなら、道の信仰はできないでしょう。ここパリは、おぢばから遥かに遠い。しかし、教祖のお働きは、時間的にも空間的にも全く不変だと思います。パリでも、存命の教祖は働いてくださっています。

そもそも教祖の年祭を勤める意義は何でしょうか。それを考える前に、教祖が、なぜ25年の定命を縮めてまで、身を隠されたのかを考えてみたいと思います。それは、教祖に降り掛かるご苦労ゆえに、お言葉に徹しきれない当時の人々を慮り下さった結果でしょう。具体的に言うならば、つとめをすれば、それが即教祖の警察へのご苦労に繋がるということがあり、当時の信者達は勤められませんでした。

お隠れ直前の初代真柱様と教祖のやり取りの中で、

「我々身の内は承知仕りましたが、教祖の御身の上を心配仕ります。さあという時は、いかなる御利やくも下されましょうか」

というお尋ねに対して、教祖

「さあ/\実を買うのやで。価を以て実を買うのやで」

と人間の真実の心を以て、親神の守護を頂くのです。とおっしゃっています。つまり、ご守護を頂きたかったら、神に真実を示せということです。そこまで言われても、なお、高齢の教祖の身を案じると、つとめに踏み切れなかったのですが、最後に意を決して、1887年陰暦正月26日、白昼、堂々とおつとめを勤められました。不思議にも、このとき、一人の警察官も来なかった。しかし、教祖は、つとめが終わる頃、現身を隠されました。その直後のおさしづ

「子供可愛い故、をやの命を25年先の命を縮めて、今からたすけするのやで」

とおっしゃっています。つまり教祖がご在世なら、その身を案じて、つとめに掛かれない人間のことを思って、教祖はその身を隠されたのです。
このことをもってしても、教祖の年祭をつとめる意義は、おつとめを真実込めてさせていただくということが分かります。

またお隠れ後、広くおさづけの理をお渡し下さることとなりました。

同じおさしづには、

「これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん/\に理が渡そう。」

と教えられるのです。

さづけを広く渡されるようになり、その結果、道は大きく伸び広がって行きました。教祖10年祭を勤めた明治29年には教会が全道府県に設置されています。またその三年前には、布教師が朝鮮半島にわたっています。ちなみに、明治40年までに朝鮮半島、台湾、中国、アメリカに布教線が伸び、明治43年にはイギリスへ布教師が渡っています。恐らく日本の宗教がヨーロッパに伝えられたのは、これが初めてではないかと思います。すべて、教祖が存命で働いておられるという確固たる信念のもと、時の信者達によって、なされていったことなのです。

教祖の年祭を勤める意義は、すなわち、つとめを真剣に勤め、さづけの取り次ぎを通して、広くこの道を伝え広めることだと思うのです。もちろん、皆さんの中には、まださづけの理を頂いていない人もおられます。しかし、おさづけの理は拝戴していなくても、おつとめは勤められる。おつとめで病人のご守護を願うこともできるのです。

この度の諭達では、改めて全ようぼく・信者がおたすけを実践する事が求められています。私は、おたすけをする上で原動力、言わば車におけるガソリンは必要だと思うのです。それは、この体を借りて、生かされているという喜びだろうと思うのです。

おふでさきに、

にんけんハみな/\神のかしものや
なんとをもふてつこています。やら(第三号41)

にんけんハみな/\神のかしものや
神のぢうよふこれをしらんか(第三号126)

とあります。

しかし、親神は時として身に障りを見せられる。そのことについて、諭達では、

「時として、親神様は子供の行く末を案じる上から、様々なふしを以て心の入れ替えを促される。しかし、

どのような事をするのも月日には
たすけたいとの一ちよはかりで(第十二号78)

と、全ては、ひたすら一れつ人間をたすけてやりたいとの親心からです。と仰せられる。」

と述べられています。

身上に節を与えられるとき、私たちは改めてこの身が自分のものではなく、神からの借り物だということがよくわかります。熱が2度上がっただけで、もうベッドだけが自分の世界となってしまう。確かに、体は自分のもののように思いながら、これほど自分の思い通りにならないものはありません。

私は、ここ、フランスで、あるフランス人に「かしもの・かりもの」の教理を説明しました。すると彼は、「私もそう思う。体と心は別だ。体は心に対して与えられた神からの贈り物だと思う」と答えたのです。そこで、私は、「貰い物と借り物では、まったく違う」と言いました。貰ったものなら、そのときは丁重にお礼を言いますが、定期的に何かを返す人はいません。一方、借り物は、車であろうと家であろうとお金であろうと、定期的か不定期かはともかく、本来の所有者に何らかのものをお返しせねばなりません。同様に、私たちは神様から体を借りています。ならば、礼をしなければならない。それが、私はひのきしんであり、教会へのおつくしであろうと思うのです。そして、神への礼の最たるものが、私はおたすけだと思います。

しかし、実際に節に遭遇した時、誰しも勇めません。しかし、そのときはなかなか喜べなくても、時間がくれば思召しが分かる日が来ます。私たち夫婦の経験を話します。今から30年ほど前、私たちは日本で結婚しました。しかし、結婚から三年間子供ができなかったのです。その頃、パリ行きのご命を頂きました。ヨーロッパ出張所で勤めるようにというご命でした。そして、パリに着いてしばらくして、家内は妊娠しました。多くの方が、神様はパリに行くのを待っておられたんだと言って下さり、私たちもそう思いました。しかし、ご承知の通り、生まれてきた子供は、知的障害児でした。しばらくは、悲嘆のどん底で喜べない日が続きました。

そんなとき、医者でもある、ある教会長がパリに来られ、私の子を見て、こう言われたのです。「永尾君、良かったなあ」。私はこの会長が勘違いをしておられると思いました。彼は続けて「よく考えてご覧。この体は神様からの借り物だ。つまり、子供も、皆、神様からの借り物だ。皆、私の子というが、そうではない。預かっているのだ。もし君が神様なら、この障害のある子を、どこかの親に預ける時、どうする。夫婦の心を良く見て、ああ、あの夫婦なら、障害のあるこの子でもきっと立派に育ててくれるに違いないというところに預けるのではないか。ということは、君らは、親神様から立派な夫婦やと認められたんだ。よかったなあ」
私たちは、この時、目から鱗が落ちたのです。無論、自分たちのいんねんを悟る事は何よりも大事です。が、同時にこういう悟りによって、節を大きな喜びとする事ができたのです。

その後、不思議と、フランスでおたすけする人は、障害のある子供さんを持った人が多かったのです。ある重度心身障害児を持っていた母親と知り合いました。主人は、子供の障害を悩んで、ある日突然蒸発しておられました。彼女は、私に「今まで、色んな宗教家の方が来てくれたが、私は聞く耳を持たなかった。しかし、永尾さん、あなた達は、私と同じように障害のある子を持っておられる。あなたなら、私の気持ちがわかってくれる」と言い、障害のある子の弟を子供おぢば帰りに参加させてくださったのです。

つとめさづけ、これは私たちようぼく、信者にとって、たすけ一条の大きな道具だと思うのです。

おふでさき

にち/\にはやくつとめをせきこめよ
いかなるなんもみなのがれるで(第十号19)

どのようなむつかしくなるやまいでも
つとめ一ぢよてみなたすかるで(第十号20)

とお教えいただきます。

そもそも教祖の50年のひながたは、つとめ完成への道でもあると思います。では、なぜつとめで助かるのか、考えてみたいと思います。おぢばで勤められるかぐらづとめは、教典によれば「親神が、紋型ないところから、人間世界を創めた元初りの珍しい働きを、この度は、たすけ一条の上に現そうとて、教えられた」とあります。つまり、かぐらづとめは、この世の創造の再現ということになります。言い換えれば、かぐらづとめは、この世の時間的原点への回帰でしょう。それに対して、ぢばはこの世の空間的原点です。

どの宗教でも、「助かる」とは、原初体験をすることだと思います。逆に言えば、病んでいる、あるいは助かっていないという状態は、本来の姿ではないということになります。言い換えれば「助かる」とは、もう一度、元に戻るということです。先ほどの熱の例で言えば、助かったとは熱が下がって本来の熱になることです。捻挫していた足が、元通り動くようになることです。事情も同じでしょう。夫婦がうまくいかない事情も、結婚した当初の気持ちに戻ることが、うまいくようになるということです。

本来、時間的原点に戻ることができれば良いのですが、そんなことができるわけがありません。従って、今において、この世の空間的、時間的な原点に返ること、それがおぢばで「かぐらづとめ」を拝することだと思うのです。従って、仮に皆がおぢばに帰り、かぐらづとめを拝できればそれに越したことはありません。しかし、パリからおぢばに簡単に帰れるわけではない。だからこそ、このフランスに出張所が設置され、そこでつとめが勤められるのです。あるいは教会、布教所も同じでしょう。この出張所や、教会、布教所で、真剣に、同時に明るく陽気におつとめを勤めさせてもらいたいと思うのです。

つとめは、道具、人数、場所が必要なのに対して、さづけはどこでも、一人で取り次げます。道具も必要ありません。そして、つとめは主に世界の治まりを願うのに対して、さづけは個人の救済を願います。まさに、この二つは車の両輪であり、これをもって、私たちはおたすけに動くのです。

おふでさき

たん/\とよふぼくにてハこのよふを
はしめたをやがみな入こむで(第十五号60)

このよふをはじめたをやか入こめば
どんな事をばするやしれんで(第十五号61)

と教えられる通り、ようぼくさづけを取り次ぐ時、教祖が入り込んでくださることを信じることが大切です。

諭達には

「常に人だすけを心掛けてこそ、世界たすけを掲げる教えの信仰者であり、それは「人救けたら我が身救かる」と仰せられるように、自らが真にたすかる道でもある」

と述べられています。

さらに

「おたすけは周囲に心を配ることから始まる」

とおっしゃっています。

実際、周囲を見渡して見ましょう。恐らく、悩みを抱えていない人はいないのです。まず、その悩みを聞くことから始めてはどうかと思います。人間には、耳は二つで口は一つしかない。これは、自分のしゃべる2倍、人の話を聞けということだと聞いたことがあります。またあるガンの婦人がご守護いただかれた時、何が一番嬉しかったですか伺うと、それは枕元で私の話をじっと聞いてくださる方が一番嬉しかったと言われたことがあります。

さらに諭達には、

「慎みを知らぬ欲望は、人をして道を誤らせ、争いを生み、遂には、世界の調和を乱し、その行く手を脅かしかねない。我さえ良くばの風潮の強まりは、人と人との繋がりを一層弱め、家族の絆さえ危うい今日の世相」

と述べられ、さらに

ようぼくは、教えを学び身につけ、日々実践して、土地所の成程の人となろう。天地抱き合わせの理を象る夫婦をはじめ、己が家族の在り方を正し、たすけ合いを実行して、足元から陽気ぐらしの輪を広げよう」

と述べておられます。

今、ヨーロッパでは、およそ6割の新生児の親が正式な夫婦ではありません。また離婚も増えています。日本も同様です。夫婦、家族の絆はどんどん弱くなっています。一人で誰にも知られず、亡くなっていく人も多いのです。

天理教のおつとめは、本来、夫婦で勤めます。かぐらづとめしかり、講社祭しかり。この出張所で勤められるおつとめもそうです。これは、世界の宗教の祭儀の仕方から言えば、特殊であろうと思います。一般的には男性が前で祭儀を司り、女性は後方で拝する形です。また男女の参拝する場所が、分けられている宗教もあります。

しかも、つとめの中で「このよのぢいとてんとをかたどりてふうふをこしらへきたるでなこれハこのよのはじめだし」と歌われます。夫婦で勤めるつとめの文句が、地と天を象って夫婦を拵えたのだと述べられるのです。つまり、つとめをつとめることが即ち、夫婦の絆を再認識し、それをさらに深めることになるのです。国によっては一夫多妻が認められていますが、お道では一夫一婦です。それは、夫婦は、地と天の理だからです。

加えて、本教のおつとめは多人数を要します。必然的に家族、教会、布教所などに集う人々が絆を深め合わねば成り立たないのです。おつとめを通して、陽気ぐらし家族を築く。そのことが、天理教をまだ知らない人達への、大きな布教になると思うのです。

私は、今、家内、そしてお陰さまで生活に特に不便のない長男と、認知症の家内の母と一緒に暮らしています。認知症の家内の母には、私は前生でこの人に本当にお世話になったんだと思っています。今、その恩返しをしているのだと思っています。私たちようぼく自身が、家族の絆の在り方を世に示そうではありませんか。

最後に、私自身、おつとめのおかげで助かった話をしたいと思います。2005年5月のある日、税務署から出張所に税務調査の手紙が来ました。数日後、税務署員が来て、三年分の会計報告を調べました。そして、彼は、天理教本部と天理教ヨーロッパ出張所は別法人だと言い、本部からの回付金に贈与税をかけると言うのです。贈与税額は40パーセントです。つまり、回付金の40パーセントを国に納めよというのです。しかし、そんなことをしたら、出張所はやっていけません。

弁護士に相談したら、裁判を勧められました。彼は、天理教本部からヨーロッパ出張所に送る回付金は寄付ではないと言います。さらに、彼は、それと同時に公益法人格を取れと言いました。ヨーロッパ出張所が公益法人と認められれば、完全非課税です。しかし、フランスでまだ知名度のない本教が、公益法人格を取るのは不可能に近い。もし裁判も負け、公益法人に認定されなければ、ヨーロッパ出張所は閉めなくてはならないと思いました。そこで、何とかご守護を頂いて認定されるように、私は心定めとして毎朝、朝の神殿掃除の一時間前に起きて12下りを勤めたのです。藁をもすがる思いでした。

この心定めを始めて数ヶ月後のことです。毎年のように、私はフランスの柔道大会に連盟から招待されていたのですが、その年も招待されました。いつも、私はフランス柔道連盟の元技術顧問である、ご存知の粟津正藏先生と一緒に行っておりました。その会場で、私は粟津先生の柔道の弟子でもある旧知の元政府高官に偶然出会ったのです。そして、私は今の状況を全て話し、「何とか公益法人と認定されるように、力を貸してほしい」と頼んだのです。彼は天理教が邪な宗教ではないことをよく知っています。私の話を理解して、彼は「よくわかりました。何とかしましょう」と言ってくれたのです。それから数ヶ月後、彼の尽力で公益法人格を取れ、さらに数ヶ月後裁判も勝つことができたのです。

私は、彼とその柔道会場で約束していたわけでもなんでもありません。本当に偶然出会ったのです。もし、この出会いがなかったら、もうヨーロッパ出張所は閉めていたかも知れない。本当に、存命の教祖の不思議なご守護を心から感じたのです。

おさしづ

「難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。皆一つ/\のひながたの道がある。ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。」

また

「僅か50年。50年の間の道を、まあ50年30年も通れと言えばいこまい。20年も10年も通れと言うのやない。まあ10年の中の3つや。3日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。千日の道が難しいのや。ひながたの道より道が無いで。」

とあります。

教祖のひながたを3年間通ったら、50年通ったのと同様に受け取ってもらえるのです。教祖の年祭は、年祭へ向かう3年間のプロセスこそ重要なのです。とにかく、寝ていても、懸命に働いても、2年数ヶ月後に年祭は来ます。この期間、懸命にこのお道の教えを人々に伝えようではありませんか。フランスの隅々まで、教えを広めましょう。また、ようぼくはおさづけを取り次ぎましょう。おさづけの理を頂いていない人は、しっかりおつとめを勤めましょう。そして、陽気ぐらしの生き方、言い換えれば、ひながたを通って、悔いの無い年祭を迎えようではありませんか。

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