Tenrikyo Europe Centre

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2007年4月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所役員 長谷川善久

本日は神殿講話の当番にあたっておりますので、少しばかり、神様のお話をさせていただきたいと思い増す。どうか暫くのあいだお付き合い下さい。

まず、何から話を始めたら良いのか分かりませんので、まずは簡単な自己紹介をさせていただきます。私は長谷川善久と申します。日本人で38歳になります。結婚しておりまして、妻はそこにいる真理子です。フランスには1993年に初めてやってきました。ソルボンヌ大学でフランス語を勉強するために教会本部から派遣されまして、一年半に渡り、津留田さんの家の裏にあるアパートをお借りして学生生活を送りました。その後、当時パリ14区のダンフェールロシュロー、今はパリ1区のシャトレにあります天理日仏文化協会に赴任が決まり、2001年までここヨーロッパ出張所で寝泊りしながら文化協会で御用にお使いいただきました。このパリでの6年間の勤務ののち、日本に戻りまして、海外部のヨーロッパアフリカ課と翻訳課で都合2年間勤務いたしました。そして2004年にまたあらためて文化協会勤務の御用を頂き、ここフランスに帰ってまいりました。

今、こうして、フランスで御用をさせていただける事を思う時、皆さん、また皆さんと一緒において頂けるようご守護くだされた親神様には感謝の気持ちで一杯です。何よりも皆さんの一緒にこのフランスでお道の御用に携われることを大変誇りに思っております。

えー。それでは、つとめと親神様についてお話をさせていただきたいと思います。

只今、私たちは四月の月次祭を無事勤め終えたところでありますが、このおつとめとは一体何物でしょうか。また、これを勤める時に心がけなくてはいけないことは何でしょうか。

答えは、一言でいいますと、おつとめとは私たちの心を澄ます清めるものです。そして、神様の社である天理教教祖 おやさまによって直々に教えられたものです。それではこれを勤めるときに一番注意しなくてはいけないことは何でしょうか。うまく弾くことでしょうか。上手に歌うことでしょうか。違いますね。それは心を一つに合わせるということです。

ですから、もしも皆さんがあまり上手に鳴り物ができなとか、、ダンスを完璧に覚えていない、踊れないということであっても、さほど大したことではないのです。

この辺のことについて書いてある逸話を読んでみましょう。

54番、「心で弾け」です。

飯降よしえは、明治10年12歳の時から3年間、おやさまから直々三味線をお教えいただいたが、その間いろいろと心がけをお仕込み頂いた。

教祖は「どうでも、道具は揃えにゃあかんで」「稽古できてなければ、道具の前に座って、心で弾け。その心を受け取る。」「よっしゃんえ、三味線の糸、三,二と弾いてみ。ひとーつとなるやろが。そうして、稽古するのや。」と。

いかがですか。「稽古できてなければ、道具の前に座って、心で弾け。その心を受け取る。」とありました。この言葉がおつとめをする時に私たちが心しておかなければならないことを言い表していると思います。勤める者の心が誠実真面目であれば、少し間違えようが間違えまいが、神はその心を受けとってくださるのです。

この場合の心というのは、他の人と自分の心を一つにしようとする心、中心になる人の心、歌に合わせて、全体の調和を作り上げようとする心のことです。

これが決して忘れてはならないおつとめの大切なことです。もし、皆さんの中に、間違えるのが怖いからというだけで、おつとめにでないという方がおられましたら、来月からでも是非、出ていただいたらなあと思います。また、いずれにしても、おつとめに参拝する時は、芯になる人に心を合わせる気持ちを忘れないようにしたいものです。

ところで、今は4月ですが、この月、毎年、日本のおぢばでは教祖誕生祭が多くの信者を迎え行われます。教祖様は陰暦1798年4月18日にお生まれになられ、この日には毎月26日の月次祭に加えて、甘露台の周りでかぐらづとめもおこなわれます。

因みに、(今日も私たちの中においでくださっている)フランス柔道の父、粟津正蔵先生も4月18日生まれでらっしゃいます。

また、お教祖がお生まれになった日、1798年4月18日は陰暦での日ですので、これを陽暦に直しますと1798年6月2日になってしまいます。

同じように、秋の大祭の元の日、1838年10月26日は1838年12月12日になり、春の大祭の1887年1月26日は1887年2月18日になります。

12月12日と2月18日。このどちらも本部での月次祭が執り行われる日、26日とは関係のない日になります。では御本部は信者が覚え易いように古い暦を使って2日とも同じになる26日ということにしたのでしょうか。答えはNOです。

« おさしず »と呼ばれる神様のご意思によって祭典の日は取り決められたのです。関係箇所を紹介いたしますと、

「月々26日として月次祭もあれば大祭もある。、26日という月々と理とをあらためて、事情のあったのは生涯の理。また一つ、26日というは始めたりと収めたりと理は一つである。」

この神様のおさしずによって御本部では毎月26日に月次祭が勤められているのです。つまり、言い換えるならば、月次祭は歴史的に重要な日として記念日のように勤められているのではなく、神様の意思に基づいて勤められているということです

天理教ではこのように、神様直々の手引書、おさしずによって決められたものも多くありますが、それでも、単に信者たちの考えから決められていることも少なくないの事実です。ですから、何が神様の意思を組んで決められたのか、何がそうでないのかを知っておくことは大切なことだと思います。

ところで、先ほどの教祖の誕生日に話を戻しますと、私は先ほど4月18日おぢばではかぐらづとめとておどりが甘露台の回りで勤められると申しましたが、その後には、真柱様が、教祖殿におられる教祖様の前でお祝いのお言葉を述べられます。この教祖さまは我々の眼には見ることが出来ません。

誰かの誕生日といいいますと、フランス人にとってみれば、まずはパーティーとくるのではないでしょうか。

このパーティーでは、親は子供の為にほぼ強制的にをやらなくてはいけないとか聞きました。招待状を作り、お菓子を用意して、何か出し物を自分の子供、招待した子供の為にするということです。子供にとっては年に一度友達を招待できるパーティーになります。

ですが、日本では私の知る限りでは、あまりこういったパーティーはしません。少なくとも私は、一度も友達を私の誕生日に招待したことはないです。たいていの場合は、友達が企画して祝ってくれ、プレゼントも彼らが一方的に誕生日の人にあげるだけです。友達には何もありません。

ところで、大抵の場合、ある程度の年齢になると、フランス人、日本人に関わらず、誕生日にはあれこれと色んなことを考え思うものだと思います。自分が通ってきた過去、これからの未来について考えをめぐらすいい機会になる人もいるでしょう。また時には「今日までがんばってきたおかげで、俺の人生うまくいってるぞ。」とか「今日からはもう 十分に歳もとって大人だ。あれも出来るし、これもできるぞ。」などなど考えたりするものです。私も小さかったときはこのように考えておりました。しかし、ある日、天理教の先生が私に尋ねました「誕生日とは君にとってなんだい。その日は何をしますか」私は答えました「分かりませんけど、、私が生まれた日で歳が一つ増えて、誕生日パーティーをしなきゃいけない日かな。」そこで、そのときの先生の答えは「誕生日というのは、私が思うに、君が両親、もっと広くはそれまで君の事を色々と面倒見てくれた人に対して特別に感謝する日だよ。もし君が本当にこの天理教のこの教えを理解していたなら両親に感謝せずにはいられないと思うけどねえ、、」というものでした。

私はそのような観点から誕生日を見たことはなかったので、大変その答えに感動しました。確かに、子供のときから天理教の教えを沢山聞いてきましたが、深く考えたこともなかったし、知らないうちに知ることだけで、満足していて実際の生活にそれを当てはめるということはしようとしていませんでした。いわゆる自分は天理教の教えをコレクションしているだけだったのです。ともかく、それいらいは毎年、私の誕生日5月15日には昼も夜も私のことを思っていてくれる両親、また親の親として絶え間なくご守護を与えてくださる親神様に特別に感謝するようになりました。

この私が信仰をしている親神様は、名前を天理王命といいまして、この世と人間をつくり、その人間が幸せな人生を送れるようこの世の始まりから守護してくださっている神様です。

ですが、この神様はもちろん目に見ることは出来ません。しかし、教祖、おやさまについてはそうではありませんでした。彼女は人間の身体をもつ生神様だったからです。この名前を中山みきというたんなるお百姓さんの妻を通して、先輩先生がたは神様のご意思、つまりこの世界創造のときより存在していた天の法則を詳しく知ることができました。しかしながら、この教祖さまも90歳のときに姿を隠され、私たちはもはや直接神様の意思を聞くことはできません。ではそこで、私たち人間を早くなんとか幸せにしてやろうと思っている神様の思いをつかむにはどうしたらよいのでしょうか。私は、そのためには祈ることだと思います。神様に言葉を投げかけ、そして身の回りに起こってくることを良く見ることです。周りで色々と起こることの中に神様は愛情溢れるメッセージを盛り込んできてくださいます。

病気が奇跡的に治るということからは言うまでもなく、それ以外の日常よく起こっているような些細なことからでも、神様の存在を感じたときには心うれしくなるものがあります。

私のちょっとした経験をお話しますと、

1999年、天理日仏文化協会はようやくシャトレに移転地を見つけることができましたが、しかし、その物件は内装を殆ど全て工事しなくてならないもので、その工事にかかる費用は当時の予算をかなりオーバーしたものでした。そこで内装工事にかかる経費を下げるために取られた策が、壁に塗るペンキに関しては我々自身でやるということで、その担当には私が当たることになりました。しかし、私も何をどうしたら良いのか、全然わかりません。ご存知の通り、文化協会は大変広く、平米でいうと全部で1000平米あまりあります。日本でいう1階には11もの教室があり、それらの壁面も4面とも全て塗らなくてはならいような状態でした。それだけの広いところを塗るのにかかるお金を考えたときに、自分の能力ではそれに見合ったことが出来ると思えず、数週間工事を始めることができずにおりました。何かいい方法はないものかと考えるなか、毎朝のおつとめでも神様にどうしたら良いのかお願いする日が続きました。そんな中、そのころ、少し前からこの出張所に頻繁に参拝に来られるようになった男性がおられました。でも話はしたことがありませんでした。しかし、ある日のひのきしんデーで彼と一緒にひのきしんをするよう頼まれ、私は彼とひのきしんをすることになりました。ひのきしんをしながら、色々な話をするなかで、ふと、ありきたりな質問で私は彼にこう聞きました。「あのー。職業はなんですか」、彼は答えて、「ペンキ職人です。工事現場とかで働いています」。びっくりしました。どうして彼はここにいるんだろう。何で彼はペンキ塗り職人なんだろうと、、

私にとっては、これは偶然ではなく、まさに神様が私に必要な人を引き寄せてくださったとしか考えられませんでした。神様に本当にありがたく感謝させていただきました。

私にとってみれば、神様のお働きで実現した以外の何物でもないこの出会いのお陰、また大変多くの教友信者や友達のお陰で、日本語学校の入学日前という工事完了締め切り日にもぎりぎり間に合う形で、このペンキ工事は完璧なできばえで終了することができました。

おそらく、世の中にはそんな出会いは神様でもなんでもないといわれる方もおられるかと思いますが、でも私は神様が私に手助けをしてくださったと確信をしています。

また、今日のこの機会にあらためてその方にお礼を申し上げたいと思います。

キインドゥさん、その節は誠真実で助けてくださり、本当にありがとうございました。

ところで、皆さんは神様にお祈りをするときにどのようになさいますか。私の場合は、大抵、まず日ごろのご守護をお礼申し上げ、まあ日ごろあったうれしいかったことや、心配なこと、悲しかったことなど、誰か身内の人に話をするかのような感じで話をさせてもらいます。

親神さまは、私の感じているところでは、大変身近で、親しみやすく、寛大で、実の母のように全ての人に対して優しさ神様です。私たちを罰することもありませんし、また見捨てることも絶対にありません。本当の親と同様に扱うことのできる神様だと思います。

これは逸話編の104番「信心はな」の中で教えられている通りです。

この話の中のおやさまが親神さまを信心する中でとるべき態度についてお話くだされたところで、「神さんの信心はな、神さんを産んでくれた親と同じように思いなはれや。そしたら、ほんまの信心ができますで。」と教えてくださっています。

私たちの信心というのは、子供が親にするのと同じように親神に持たれていくだけでいいのです。

おふでさきにも

月日にはみな一列は我が子なり、かわいいっぱいおもていれども

とあります。

もし神さまは私たちへの愛しか持ち合わせていないことが理解できれば、起こってくること全てが、良いことも悪いことも神さまの愛情の表れ方だということに納得がいくとおもいますし、神様は我々を本来通るべき道に戻すために様々な問題や病気を使いお知らせくださると教えられています。

とは言うものの、実際、言うのは簡単です。自分のことを考えてみても、悲しいことや受け入れがたい辛いことがいくら神様のお導き、ご守護であるといわれても大変難しいときも多々ありますし、まあ。良いほうに受け止められるまで時間がかかってしまいます。

しかし、このことに関しては、誰も完璧なひとなどいないと思いますし、心の成人を求める我々の道のりはずっと続くものです。大切なのは神様を信じ、彼と語り、多かれ少なかれ教えに基づいた生き方を実践していくことを続けていくことだと思います。

我々が人類の親である親神さまと一緒に歩む道を続けていく中に、神様はこの素晴らしい人生をどんな状況にあっても楽しめるように段々としてくださると思います。

先ほどお勤めのなかで歌った五下り目5つ

いつまで信心したとても、陽気ずくめであるほどに

と言われるところです。

ご静聴ありがとうございました。

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