Tenrikyo Europe Centre
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ヨーロッパ出張所役員 岩切耕一
さて、私たちは現在、教祖140年祭に向かう三年千日の2年目の終わりにいます。ヨーロッパ出張所ではこの三年千日の心定めとして、ヨーロッパ全体で参拝者数8000人、初めての参拝者数500人を達成しようという目標を決めています。ご参拝されている皆さんも個人的な心定めをされていると思いますが、今日は改めて「心を定める信仰の大切さ」についてお話ししたいと思います。
教祖が書かれたおふでさき第5号24に、次のようなお歌があります。
しやんして 心さためて ついてこい
すゑハたのもし みちがあるぞや
教祖の教えについていけば、私たちはかならず幸せになることができます。しかし、このお歌に示されているように、ついて行く前に、まず心を定めるようにと教祖は教えられています。「しやん」というお言葉は、おふでさきに70回も出てきますから、深い意味のある言葉だろうと思いますが、親神様の思し召しをよく思案してから心を定めるよう求められているのだと思います。
教祖はこれと同じことを手おどり9下りの中でも教えています。
いずれの方も同じこと しやん定めてついてこい(五つ)
むりにでやうというでない こころ定めのつくまでハ(六つ)
このお歌では、心定めができていない人に無理にどうせよと言ってはいけないと教えられているのですが、見方を変えれば、親神様の思し召しをよく思案して心が定まっていないと、教祖の教えにはついていけないと言われているように思います。
皆さんご承知の通り、天理教では、「人間というは、身の内神のかしもの・かりもの、心ひとつが我がの理」と教えられています。そして天理教教典第7章には、「銘々の身上は、親神からのかりものであるから、親神の思召に従うてつかわせて頂くのが肝腎である。この理をわきまえず、我が身思案を先に立てて、勝手にこれをつかおうとするから、守護をうける理を曇らし、やがては、われと我が身に苦悩を招くようになる。」と書かれているように、自由が許されている心の使い方次第では、人間は不幸になる道を歩みかねないのです。
教祖伝逸話編31「天の定規」に次のようなお話があります。
教祖は、ある日飯降伊蔵に、「伊蔵さん、山から木を一本切って来て、真っ直ぐな柱を作ってみてくだされ」と仰せになった。伊蔵は、早速、山から一本の木を切って来て、真っ直ぐな柱を一本作った。すると教祖は「伊蔵さん、一度定規に当ててみて下され」と、仰られて、更に続いて「隙はありませんか」と、仰られた。以蔵が定規をあててみると、果たして隙がある。そこで「少し隙がございます」とお答えすると、教祖は「その通り、世界の人が皆、真っ直ぐやと思うている事でも、天の定規にあてたら、皆、狂いがありますのやで」とお教え下された。
教祖はこのお話の中で、人間の心は完全ではないことを教えてくださっています。自分中心の考えではなく、常に親神様の思召しを基準にして心を定めることが大切だということになります。
一方、教祖は人間が誠真実の心を定めて願えば、親神様の自由用のご守護が得られるとも教えられました。おふでさき第7号43には次のように歌われています。
しんぢつに 心さだめてねがうなら
ちうよぢざいに いまのまあにも
このことは次のような教祖のおひながたにはっきりとお示しくださっています。1887(明治20)年に教祖がお姿をおかくしになる直前、おつとめをつとめよと急き込まれる教祖と初代真柱様との間に緊迫した問答が交わされました。初代真柱様が「おつとめをつとめることは国の法律にさからうことになります」と言うのに対して、教祖は「事情無ければ心が定まらん」「さあさあ月日がありてこの世界あり、世界ありてそれぞれあり、それぞれありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで」と応えられました。
この問答の最後に、初代真柱様は教祖に対して、おつとめを実行しますという真実の心を定めました。その上で天理教教会設立のお許しをお願いしたところ、その願いはすぐにかなえられました。翌年になって教会設立の認可が国から下りたのです。不可能と思われていたことがこれほどスムーズに実現したことは本当に不思議だと言わざるを得ません。
また、教祖は真実の心とは苦しんでいる人を救ける心だと教えられています。
教祖伝逸話篇16に「子供が親のために」というお話があります。これはある子供が母親の病気を助けて欲しいと思って真実の心で教祖にお願いした結果、奇跡的に母親を救けていただいたお話です。
桝井伊三郎の母キクが病気になり、次第に重く、危篤の容態になって来たので、伊三郎は夜の明けるのを待ちかねて、伊豆七条村を出発し、五十町の道のりを歩いてお屋敷に帰り、教祖にお目通りさせて頂いて「母親の身上の患いを、どうかお救けくださいませ」と、お願いすると、教祖は「伊三郎さん、せっかくやけれども、身上救からんで」と、仰せになった。これを承って、他ならぬ教祖の仰せであるから、伊三郎は「さようでございますか」と言って、そのまま御前を引き下がって、家へ帰って来た。が、家へ着いて、目の前に、病気で苦しんでいる母親の姿を見ていると、心が変わって来て「ああ、どうでも救けてもらいたいなあ」という気持ちで一杯になって来た。それで、再びお屋敷へ帰って「どうかお願いです。ならん中を救けて頂きとうございます」と願うと、教祖は、重ねて「伊三郎さん、気の毒やけれども、救からん」と、仰せになった。教祖にこう仰せ頂くと、伊三郎は「ああやむをえない」と、その時は得心した。が、家にもどって、苦しみ悩んでいる母親の姿を見たとき、子供としてジッとしていられなくなった。又、トボトボと五十町の道のりを歩いて、お屋敷へ着いた時には、もう、夜になっていた。教祖は、もうお寝みになった、と聞いたのに、更にお願いした。「ならん中でございましょうが、何んとか、お救け頂きとうございます」と。すると、教祖は、「救からんものを、なんでもと言うて、子供が、親のために運ぶ心、これ真実やがな。真実なら神が受け取る」と、仰せくだされた。この有難いお言葉を頂戴して、キクは、救からん命を救けて頂き、八十八才まで長命させて頂いた。
「おかきさげ」には、「誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理」とも教えられます。誠の心を定めて毎日を過ごすのが天理教の信仰の最も大切なことではないかと思います。
天理教で最初に心定めをした方は、教祖の夫様である中山善兵衛様だと言われます。教祖伝第一章には、教祖が、1838年10月26日に神のやしろにお定まりになった時のことがこう書かれています。
「食事も摂らず床にも寝まず、昼夜の別なく元の神の思召を伝えられるみきの緊張と疲労は、傍の見る眼にもその度を加え、このままでは一命の程も気遣われる様子になったので、遂に善兵衛は、事ここに到ってはお受けするより他に途は無い、と思い定め、二十六日、朝五つ刻、堅い決心の下に、『みきを差し上げます。』とお受けした。
「みきを神のやしろに貰い受けたい」という天啓から3日間、思案に思案を重ねて、遂には、人間の常識を捨てて、夫善兵衛様が親神様の思し召しに従うことを堅く心に定めたからこそ、今日の私たちの信仰があるのだということを心に留めておきたいと存じます。
ご静聴ありがとうございました。