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2017年2月月次祭神殿講話

内子・パリ布教所 松川こひな

天理教少年会の誓いの言葉に「私は天理教少年会員です。教えを守り、ひのきしんに励み、互いにたすけ合って、立派な ようぼくに育ちます。」とあります。

私は小さい頃から、この「たすけ合い」という言葉が好きでした。みんなでたすけ合って何かをやった時、それをやり遂げたという達成感があったからです。大人になり、もう少し掘り下げて考えてみた時に、教理に「互い立て合い、たすけ合い」と教えて頂くのに気づきました。世界中の人間はみな親神様の子供、お互いに兄弟姉妹です。その兄弟が互いにたすけ合って、陽気に明るく暮らすのを見て、親神様も共に楽しもうとの思召から人間世界をお創め下さいました。ですから、お互いに相手を立て、相手を生かし、たすけ合っていくというのが、人間として最も基本的な生き方と言えると思います。

ところで、この「互いたすけ合い」ということを取り違えて、相互にたすけ合いをするのだから、自分も人をたすける代わりに、相手も自分をたすけてくれなければならないというふうに、相手からのお返しを強く求める人がいます。しかし、親神様は「互いたすけ合い」という言葉は、親が子供に対して「お前たちは兄弟なのだから、互いにたすけ合いなさいよ。」というように諭す言葉であって、それを聞いた私たち自身にとってみれば、「それでは公平に、交互にたすけ合おう」というのではなく、「私はあの人をたすけよう、あの人に真実を尽くそう」ということが大切なのだとお教え下さっています。相手からのお返しを求める心が強いほど、自分のやったことに対して相手の評価が低かったというような不満や、裏切られたとかいうような不信感を抱かされる結果ともなるでしょう。互いたすけ合いの世の中なのだから、今は私があの人をたすけさせてもらおうという、報酬を抜きにした真実の心を尽くしていく。その真実を親神様がお受取り下さって、親神様からたすけて頂き、大きな喜びの姿へとお導き頂くのだと思います。

「立て合い」という点で、ある本に面白いことが書いてあったので、ご紹介します。

現代社会の至るところで生まれている大きな争い、小さな争い。いったいだれが悪いのでしょうか?不思議なことに、悪い人は一人もいないのです。その証拠に、争っている双方ともが「私は悪くない」と必ず言います。でも、現実に争いはあります。悪い人がいないのに、争いが起こるなんて、本当におかしなことだとは思いませんか?そこで提案したいのは、「悪い人になりましょう」ということです。もちろん、犯罪などの悪事をはたらく人になれという意味ではありません。自分に都合の悪いことが起こった時に、勇気を持って「すみません。私が悪いんです。」「うちの子が悪いんです。」と言える人になりましょう。人より心を低くすると言ったほうが分かりやすいかもしれません。それが、実行できれば、きっと争いのない穏やかな世界が訪れると思うのです。

ここで、うちの布教所の信者さんで、4年前に出直されたガラテアさんのお話を少しさせて頂きたいと思います。

私が彼女と会ったのは、既に彼女が重い病気にかかってからのことでした。私は彼女と初めて会う時、どんなことを話そうかとか、どういう態度でいなければならないかとか、とても緊張して会ったことを覚えています。彼女はそんな心配をよそに、何に対しても常に前向きであり、真剣であり、こちらが質問したことに関しても、いろいろ細かく調べてくれたり、本当に親身になって助けて下さいました。

毎月来て下さるうちの布教所の月次祭には、いつも私たちを喜ばせようと、いろいろなものを持って来て下さったり、私の小さな夢であった日本料理教室を自分で段取りして開催して下さったりしました。また、私も毎回何を作ったらガラテアさんが喜んで下さるかなあと、和食が好きな彼女のために和食を作ったり、ほかに何をしたら喜んでくれるかなあと、いつもそんなことばかりを考えていました。すると、こちらも自然と喜びの心が生まれてきました。

出張所の翻訳のひのきしんや婦人会結成の時なども、真剣にいろいろな案を出して下さり、本当に皆さんに支えられて過ごせたこと、少しでもみなさんのお役に立てたこと、彼女もきっとうれしかったと思います。彼女が天理教に出会って、また、教友のみなさんの温かさに触れ、ずっと連絡を取っていなかったお姉さんとも最後は一緒に生活でき、本当に幸せだったと思います。

彼女のために、うちの子供たちも一緒にお願いしてくれたり、病院にも何も言わずについて来てくれたり、親子一丸となっておたすけにかからせて頂きました。彼女は入院してからも、体が大変なのに、いつも私たち家族や親のことを心配して気遣って下さり、おたすけさせて頂いたつもりが、いつの間にかこちらが力を頂き、助けて頂いていたということに気づきました。最後におさづけをさせて頂いた時は、「ありがとう。」と日本語で言って下さり、最後までこちらのことを考えて言って下さったのかと思うと、胸がいっぱいになりました。彼女は身上はお返ししましたが、心は生きながらにして生まれ変わったと感じさせてもらいました。今、改めて、彼女のお陰で、お互いに相手を立て、相手を生かし、たすけ合っていくという、人間として最も基本的な生き方に気づかせて頂きました。

一番身近な夫婦、親子からお互いに相手を立て、生かし、たすけ合いをする。一日に一回ずつでもいいのでそれを実行して、自分自身から続けていけば、必ずその輪が広がっていって、争いもなく、明るく穏やかで、一人も悪い人のいない素敵な世界が訪れると私は信じています。

ご清聴、ありがとうございました。

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