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2006年5月月次祭神殿講話

サミュエル朱見

ただ今立教169年5月の月次祭を無事つとめさせて頂きました。月次祭の講話を私のような粗忽者に御命を頂き大変恐縮いたしております。お聞き苦しい所もございましょうが最後まで宜しくお付き合いお願いいたします。

普通、月次祭の講話では教典に基づいたこと、教祖の示された雛形、陽気ぐらしについて前向きに話していただいていますが、何しろ私は癖性分の強い人間ですので、私の中に巻き起こる陰気ぐらしの絵巻を語ってみたいとおもいます。

わたしは子供の頃から出所の分からない呪縛の様なものに取り付かれた非常にコンプレックスの強い人間で、また躁鬱も激しいのです。それは体調のよい時は静かにしていて私自身にも自覚症状がないほどですが、心と体のサイクルが合わなくなってくると、考えることと行動の理屈が合わなくなり全てがマイナス思考になり、家族と口論し自分をこの世から抹消したいと強く思ってしまいます。それは4歳ぐらいの時から既に現れており、先ず女に生まれたことが忌まわしく思っておりました。というのは、女は男という汚い生き物から卑しめられた生き物だと思っていたからです。なぜ4歳の子供がそんなことを考えていたか今でも分かりません。家庭の中にもそんなアイデアをもたらすような出来事はありませんでした。女の子で居るのはまだ耐えられるのですが、成熟した女性になることが嫌でした。しかし人間は刻一刻新しい細胞を作り壊し、そうやって成長し老化していくのです。こうやって何もしないで居るうちにもそれは誰にでも平等に起きているのです。

幼い私はちっとも成長したくないし、このまま一見男女見極め不明な小さな生き物で居たいのに、いやがうえにも時とともに大人の女になる。それが恐ろしくその気持ちは時々発作的につよくなり、寒気がして鳥肌が立ち嫌悪感から吐き気を催すのです。物事の好き嫌いがはっきりしており癇症でしかも悲観的。自分で自分がコントロールできなくなると1人で泣いていました。18歳くらいの時にシモーヌ・ドゥ・ボーボワールの「第二の性」を読んでそういう性的にのろわれたそのような気持ちは私だけではないということが分かり、自分は思っていたほど特別でも異常でもないと救われました。23歳で大好きな学業を修了しつきたかった職務につき、年間何億と言う年商を上げ、でも人格は相変わらず未熟な子供のままでしたから有頂天でうぬぼれ屋の恐ろしい娘になりました。資本主義、物質主義のお化けのようになり必然的に心身ともに大きな壁にぶち当たり、自分に幻滅し生きている価値のない者というところまで思い詰めました。それは「ひたむきに働けば人間はときとして盲目的になり、そんなこともあるさ」と慰めてくれた先輩もありましたが、わたしは私を許すことが出来ませんでした。

死んでしまってもいいと思ったのですが私の後始末を親にさせるのは辛すぎます。では、何を理由に私に生きる権利を与えることが出来るでしょう?殆ど飲み食いせずに数日考えた時、中山みきと言う人物像が頭に浮かんだのです。門前の小僧習わぬ経を読むではありませんが、中山みきと言う人はどんな人間も平等に尊重し慈しみ許す人だと知っていたし、際限のない人類愛を感じていたからです。この人のフィロソフィー(哲学)をもとに私はやり直そう、私は生き返ることが出来ると思いました。これが私の信仰の元一日です。

少しずつやり直していくうちに、教祖の姿を新たな視点で捉え尊敬と親しみの気持ちが増しました。同時に幼い時に恐れていたような成熟した女にはわたしはちっともならず、男女具有のようなキャラクターは私自身を解放しましたし教祖の「女の月の物は花やで」と言う言葉や男女異種、しかし平等と言う教えはどれだけ私を支えてくれたか言い表せません。

冒頭で時折自分を抹消したくなる衝動に駆られると言いましたが、陽気ぐらしの天理教が生まれた日本は自殺者の数は世界1で昨年も32000人以上、日本の交通事故死5000数人の約6倍です。なぜそんなにと思われませんか?たしかに日本人には死に対する美学と言うか他の国の人たちとは違った価値観を持っているかもしれませんがそれにしても、、、、、です。1つ日本人を弁護してあげたいのは、日本は経済大国と言われていても、社会保障はフランスなどの比ではなく貧困ですし、そしてその恩恵を受けることが国民として当然の権利であると言う考え方よりは恥だと思っている人が多いしょう。10数年前バブルと呼ばれる日本の好景気は瞬く間に終わりました。その時に職場を失い家族を養うサラリーを運んでこられなくなった身、世の中から必要とされない身をはかなんでどれだけの男たちが自殺したでしょう?それは社会保障の貧困さから来る社会から阻害された孤立感や無力感が、誰でも持つ死の恐怖感を凌駕したといえるのではないでしょうか?これまでのように月給と言う家族を養う力を運んでこられなくなって以来、男たちは自分の生きている意味を見失ったのです。即ち会社と言う場所が彼らの生きる場所であり目的だったわけです。家庭での役割は子育てから何から何まで妻に任せ,自分の子供が何を考え何をしているのかも知らない父親が多いと聞きます。

フランスでは子育てをしっかり夫婦2人で、父親役母親役という双方の役目を分かち合い楽しみながらやっている人を多く見かけます。ですからしっかりした社会保障のおかげもあるかもしれませんが、親として家族として必要とされている自分があるので職場と言う居場所をうしなってもまだ自分の居場所と自分を必要としてくれる人があることを認識しています。話がちょっとずれてしまいました。

わたしの夫もバブルの被害者と言えるでしょう。夫の勤めていた日本の商社は(パリ)オフィスを閉めその時点から私たちは有限会社を作りました。しかし正直で堅物で通っている日本のしかも中堅以上の会社に騙され、結局その会社を閉めざるをえないことになりました。私たちの息子はまだ1歳にもなっていませんでした。会社を閉めるということも苦痛でしたが生活費もあてがありません。そして折悪しく引越しをしなければならなかったのですが、引越しをするのにも大家さんというのは自営業の人間を店子にしたがりません。それで知り合いの会社に頼んで偽の給料明細を作ってもらい、サラリーマンの振りをして何とかとあるうちの店子になったのです。そこの家賃もその時の我々の収入より多く、銀行の赤字続きなのに文句も言わず誰にも借金もせず、むしろ夫は友達に小額とはいえ都合してあげたりしていたようです。かれは自分をやり繰りの天才と言うだけでわたしには彼がどうやってきたのかちっとも分かりません。夫は私に屋根のない暮らしはさせないと言いましたが、屋根とは橋の下だったりしないだろうなーと不安で眠れないことはしょっちゅうでした。

教祖がご苦労の間に、「どのくらいつまらんとてもつまらんとは言うな。乞食はささぬ」とお子さんたちにおっしゃいましたが、確かに天理教3大因縁の1つ屋敷の因縁の敷地はあるものの、衣食住どれほど乞食よりましだったでしょう?乞食と教祖の暮らしの違いと言えば物はないに等しくとも、常に与える心を持っていること。生きていることの目標は世界助けであることです。その真理が分からない人には乞食と教祖の存在の違いは分からないでしょう。夫が屋根のない暮らしはさせないといったのは、教祖がおっしゃったような高尚な目標のレベルでいったわけではありません。私は私で単に屋根のある生活が欲しかっただけです。その辛かった状況の中で身にしみてわかったことは、夫婦2人が良いチームとなり信頼しあってこそ窮地を脱出出来るということです。もちろん夫は私の信仰の目標の対象ではありませんが、親神様が作ってくださった最小限の単位は夫婦です。この関係が親密で硬いほど陽気ぐらしの基盤となっていくのだ。、、、、と思いつつも仕事も生活も24時間一緒にするということは言い争いを生みますし、増して事業のうまくいっていないときにスムーズに行く筈がありません。どれだけ言い争いをし死んじまった方が楽だと弱気になったことでしょう。

ところで私のちっぽけなぼろ車(ルノーの4L…キャトル エル)の中には1巻きのコードがあります。私の4Lは唯一私が1人きりになれる場所なのです。悲しくて悲しくてたまらないとき、1人で別にどこかへ行くためにエンジンを掛けるでもなくジーッと座っています。そしてそのコードを見てこんな物で首をつったりしない自分を確認するわけです。「かしもの・かりもの」のお話も何百回も聞いたはずなのに、もしこのお借りしている体を楽な苦しまない方法でお返しすることが出来るならという考えが頭のどこかによぎる時、このコードは私の心のブレーキとなってくれるのです。

そして心が1番萎えた時私を本当に慰めてくれるのは何といっても私の1人息子でしょう。こんなにかわいらしく無心に自分を信頼してくれる人間を裏切ることは出来ません。それに彼は私の神経質な性格を受け継いでいるようで、ふとした時にペシミスティック(悲観的)な部分を見せます。何としてもせめてこの人にはポジティブで力強い人生を歩んで欲しい。それには私たちがその手本を見せなければならないのに、議論と喧嘩を続ける私たちを見てなすすべも無く悲しそうにしていました。そしてある日息子が言いました。「こんな状態で一緒に居る意味があるの?」これほど私たちにとってショックなアドバイスは無かったでしょう。どんな憎まれ口を言っても、相手が許してくれるのではと言う甘えから各々勝手なことをいい、相手がどれほどそれで傷ついたかは考えていなかったのです。仕事やお金のために生涯をともに生きてく筈の人間と罵り合って何の意味があるでしょうか。まさに目からうろこが落ちたと言う言葉がぴったりでした。以後我々は息子からそのようなネガティブなアドバイスはもらわなくなり、子供にとっては詰まらない仕事の話の多い人たちだが仲はよさそうであると思ってくれているようです。

私は女に生まれたことを不幸に思い、女のすることを生涯すまいと思っていたのにまさに女にしか出来ない出産をし、それによって生まれた息子によって生きていく基本と喜びを与えてもらいました。これは若かりしころの私には予測できなかった生き方で、人生を積み重ねると言うことはこういうことなのかなーと思わせていただくのです。しかし門前の小僧のように教祖の雛形、陽気ぐらし、十全の守護、「かしもの・かりもの」の話を聞き続けていながら、なぜ自分を抹消したい神様の思し召しの正反対なことを思うのでしょう?なぜ?なぜ?なぜ?教祖があらゆる人間の苦しみを先回りして体現して雛形を通して私たちに答えを教えてくださっているなら、雛形を繰り返し考えればきっと私にもピンと来る答えが見つかるはず、と考えました。そういえば教祖も直接の原因は秀司様の身上とはいえ、自分の身に神が天下り、苗字帯刀を許された豪農の中山家をつぶし子供たちに食うか食われぬかの生活を強いると言うのはどれほど辛いことでしょう?しかも50年も続いたのです。

教祖は何度と無く池に身を投げようとなさいました。このあたりの状況を細かに想像力を働かすと、バブルのはじけた時に自殺した人の苦しみや私たち夫婦のような問題も類型的にきちんと説明されていることが分かります。おふでさきもおさしづも、それを説かれたときは19世紀ですが、だからと言っておっしゃったことが現代人の我々に適応しないのではありません。身を投げようとされた時、教祖の心理は100パーセント神の社だったのでしょうか?半分くらい中山みきと言う個人女性だったのでしょうか?私はそのあたりのことは知識がありませんが、死んでしまいたい教祖を引き止めたのは神の力はもちろんですが、教祖を愛してやまないご家族を置いて命を断てないと思われたでしょうし、ご自分が人生をあきらめたら子供さんたちもあきらめた人生を送っていくことは明らかです。そして教祖は生きて戦うことを選び、子供さんたちは皆最高のアシスタントとなって天理教の基礎を作ってくださいました。このあたりの逸話の理解のしかたは、それまで自分で納得していた考え方とはちょっと違うニュアンスで私を今までより力強く励ましてくれています。

しかしそれだけでは、まだ私を力づける要素としては不十分で、私は時々何度神様が私の命を救ってくださったか思い出す必要が有ります。幼い時に、当時はまだ発見されていなかったと思われる恐ろしい病原菌に襲われ、殆ど死に掛けましたが回復しました。病原菌がなんだかわかっていなかったのですから、治療も的確なものは施されなかったにもかかわらずにです、3日3夜のお願いの後に、運命としか言いようのないことごとが起き助かりました。新婚旅行で行ったタイランドでオートバイの事故、外国で頭の大手術、しかし日本に帰って検査してみればそれは完璧なできばえ、ということもありましと。でも輸血のおかげでC型肝炎を感染していることが分かり、またもやがん治療にも匹敵すると言うきつい治療をうけました。その治療の検査の際に分かったのは、わたしの肝臓にはB型肝炎の後が見られたのです。しかし私の体が自力でそれを回復していたそうです。

そしてフランスに住み始めた年、1989年の7月14日、タクシーに乗ったところ正面から泥酔しきった男の運転する車に激突される事故に合いました。おふでさきにも、神様はこかしたい木はいつでもこかす、とおっしゃっています。私の今までの人生を考えると、いつこかされてもおかしくないことばかりです。なのになぜ私は今でも生きている?神様は私を愛していらっしゃると冗談を言って笑ったりしていますが、こんなに欠点だらけの人間でも、こいつ何やらかわいらしい所があるからいかしてやろう、と思っていただけるように生きていけたらと願っています。

それからもう1つ私が目指したいのは、自分の人生の幸せは人の人生との比較論で判定したくないと言うことです。人間は自分より裕福な人を見れば、自分がみすぼらしく見えたり、飢餓する人の話を聞けば自分は恵まれていると思います。それは当たり前のことのようであり、また本当の神様のご守護を知らないからとも言えます。ひと昔前、食べ物を残す子供にアフリカのことを思いなさい、と言いました。確かに多くの人が飢餓で亡くなっています。あまりに悲惨なそんなニュースにも、我々は免疫性が出来、そのなんとも不運な人たちを食べ物や物を大切にすることを教えるための道具にしていないでしょうか?全くぞっとすることです。

そして最後にもう1つ言わせてください。飢餓に悩む人々は自殺をしないのではないかと思います。死はあまりにも身近に迫り来ているからです。彼らより物質的には恵まれた社会に暮らす私たちの中にも、恐ろしい病臥に苦しむ中一生懸命に生きていこうとする人たちもいます。そういう人たち(の中で)も、自殺を考える人は健康体の人より少ないかもしれません。一見死から自分が遠い所にいるように見える時、人は死を選ぶのでしょうか?全く理不尽なことです。当たり前のことですが、人生の最初も最後も神様に決めていただくのが最善です。それまでを人間の元一日と自分の信仰の元一日を心に納めて、謙虚にひたむきに生かさせていただきたいものだと思っております。

ちなみに近頃わたしは前のより新しい87年型の4Lをゲットしました。そのなかにはもう、コードはおいてありません。私は私なりにちょっと進歩しました。

ご静聴ありがとうございました。

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