Tenrikyo Europe Centre
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天理教海外部次長 永尾教昭
ヨーロッパ出張所は、先月、新所長が就任して、再スタートしました。所長夫妻は、まだ年も若く、経験もそれほど積んでいるわけではありませんので、なかなか、皆さん方の期待通りには行かない事も多いと思います。しかし、私は、出張所長というのは、言わばスポーツのチームのキャプテンであって、決して監督ではないと思っています。監督は、教祖です。皆さんが、一緒になって監督の意思を探り、それをキャプテン、つまり所長が中心となって遂行して行くものだと思います。
また、器が人を育ててくれます。所長というご命を頂いたことで、その所長にふさわしい人間になって行ってくれるだろうと思っております。
どうぞ、皆さんが新所長に心をそろえて、一歩一歩このヨーロッパの道が進展して行くことを心より希望致します。
さて、昨年3月、日本の東北地方で大震災が起こりました。死者、行方不明合わせて約2万人という大惨事となりました。完全復旧には、まだまだ時間がかかります。一日も早い復興と、同時に被害に遭われた方の心の傷が癒えることを祈らずにはおられません。
ご承知のように、私は、3年前の3月まで、約25年間パリにおりました。17年前には、やはり日本の大阪、神戸地方で大震災がありました。その折、フランスで、ある方からこういう質問を受けました。「天理教の教えはよくわかったが、ならば、今回の震災で亡くなった人6千人は、皆、前生に悪いことをしてきたのですか。私の知人の日本人老夫婦も亡くなりました。その夫婦は、子や孫から慕われ、近所の人たちにも本当に慕われていた素晴らしい人でした。一方で、誰が見ても悪事ばかり働いている人で長生きしている人もいるではありませんか。なぜなのですか。天理教ではどう考えるのですか」というものです。
今回の東北の地震でも、大勢の人が亡くなりましたが、もちろん、皆さん埃を積んだ人ばかりではありません。恐らく、すばらしい人も、たくさんおられたでしょう。
その際、私はすぐには答えられませんでしたが、今は一つの答えがあります。それは、「確かに、私は天理教の布教師です。しかし天理教を信仰したら、森羅万象の意味がすべてわかるわけではありません。信仰しても、分らないことだらけです。むしろ、逆だと思います。信仰をしたら分かるのではなくて、世の中分らないことだらけだから、信仰するのだと思うのです。日々現われてくる現象の中に、親神の思し召しを懸命に探す努力、それが信仰だと思います。従って人それぞれ、答えは違うと思います。違って良いのではないでしょうか。あなたの質問に対する答えは、私は私自身の答え、あなたはあなたの答えを出すべきだと思います」というものです。
人生の中には、本当に不合理だと思うようなことも起こってきます。そのときは、理解できなくても時間が経てば理解できることもあります。いずれにしても、ありとあらゆる事象の中には、神意があることは間違いないことであって、その神意は、その事象を通して人間を陽気ぐらしに近づけたいということだと思います。
私たち、天理教信者は「陽気ぐらし」を標榜しています。そもそも陽気ぐらしとはどういうくらしを言うのでしょうか。教典に、
「見えるまま、聞こえるままの世界に変わりはなくとも、心に映る世界が変わり、今まで苦しみの世と思われたのが、ひとえに、楽しみの世と悟られてくる。己が心が明るければ、世上も明るいのであって、まことに、「こゝろすみきれごくらくや」と教えられている所以である」(教典74ページ)
とあります。つまり、赤のサングラスをかければ、この世は赤、青なら青くなりますが、実際の世の中が変わったわけではありません。それと同様に、苦しみのサングラスをかければ苦しみですが、楽しみのサングラスをかければ、この世は楽しみの世界となるのです。実際の世の中は変わらなくても、心の持ち方でこの世は自分にとって、明るくもなり、また暗くもなるのです。つまり、陽気ぐらしとは、客観的な世の中そのものが変わるのではなく、心に映った世界が変わり、心が勇めるようになる、そういう人生を言うのだと思います。
では、本当に心の持ち方一つで、苦しみの世が楽しみの世に変わるということがあるのでしょうか。あります。私自身、心の持ち方一つで、心に映った世界が変わったことがあるのです。
ご承知の方もあると思いますが、私の長男はダウン症という生まれつきの知的障害者です。生まれた当時、なかなか喜べず、不安と落胆の毎日でした。そんなとき、天理教の教会長であり、医師でもある方が所用でパリに見えました。その先生は、私の長男を見て「良かったなあ」とおっしゃったのです。私は何か勘違いをされたと思いました。続いて「永尾君、よく考えなさいよ。子供は自分のものではない。親神様から預かっているのだ。言わば借り物だ。もし君が親神様なら、障害のある子をこの世のどこかの親に託す時、どうする。夫婦の心をしっかり見定めて、この親なら、この子を立派に育ててくれるに違いないという親の元に預けるのではないか。ということは、君たちは親神様から選ばれたのだ。良かったなあ。そういう意味では、本来、世界に生まれてくる障害児は、すべてお道の家庭に生まれてくるべきなんだ」と言われたのです。私はそれまで、そういう考え方をしたことがありませんでした。この言葉を聞いて、私はものの見方が変わったのです。少しずつではありますが、心が勇めるようになってきたのです。
私たち、お道のようぼくは夫婦、家族で一緒に通ります。夫婦の陽気ぐらしが家族に広がり、家族の陽気ぐらしが近隣に広がり、そして国全体、世界全体に広がった時、真の意味で陽気ぐらし世界が実現するのだと思います。
今から20数年前、教祖百年祭の頃、私はコンゴにいました。天理教の教会がある旧フランス領コンゴは、今なお、日本とはほとんど交流がなく、双方に大使館もありません。従って日本人もほとんどいません。当時、コンゴにいた日本人は、天理教メンバー2人以外では、唯一、カトリックのシスターが一人おられただけでした。信じる道は違いますが、たった3人の日本人ですから、時には集まって色々な話しをする機会がありました。
ご承知の通り、カトリックは、神父、シスターとも一生結婚できません。ある時、私は、そのシスターに「シスター、あなたは、女身一人で現地人と寝食を共にされる。立派なことですね。こういう環境も厳しい国に一人で来て、日本でご両親は心配しておられませんか。本当にすばらしいですね」と言いました。それに対して、彼女は「そうでしょうか。天理教の人は家族で布教される。永尾さん、このコンゴであなたにもしものことがあったら、奥さん、子供さんはどうするのですか。私は一人だから、来られるのです。私に主人、子供がいたらこんなところには来れません。天理教の方は本当に偉いですね」とおっしゃったのです。私は、その時、家族でこの道を歩むことを苦労に思うのではなく、むしろ心から喜びに感じたのです。
みかぐら歌に「ここはこのよのごくらくや」とあります。この「ここ」とは、どこのことでしょうか。後に続くお歌が「わしもはやばやまいりたい」ですから、第一義的には「親里・ぢば」であろうと思います。ただ一方で、「ここ」とは自分の住む家とも解釈できるのではないでしょうか。つまり、夫婦、家族が助け合って生きて行くならば、自分の住むところがすなわち極楽になる。同じ地域に住む者同士が、本当に助け合ったら、そこが極楽になる。極楽は、どこか遠いところにあるのではなくて、今ここにある。これが本教の信仰ではないでしょうか。
一昨年暮れ、妻の父が出直しました。妻の両親は二人住まいでした。父が出直し、母を一人にしてはおけないので、我が家は決して広くないのですが、長女である家内が引き取る、つまり我が家に迎える事にしました。実は、家内の母は、可哀想ですが、軽い認知症です。述べたように、長男は障害児であり、そこに認知症のおばあちゃんが来たのです。
私は、パリにいる子供達に「いいニュースがあります。おばあちゃんを引き取る事にしました」とメールしました。すると、二人から「おかあさんは、ますます大変になるけれど、おばあちゃんを一人にしておいたら心配だから良かった」という返事が来ました。
長男はそれほど手はかかりませんが、やはり健常な人と比べたら、少し手は掛かります。従って、家内は少し大変です。私も見ていて大変だなあと思います。しかし、当の家内は、25年間フランスにいて親孝行できなかったので、やっと親孝行できると喜んでいるのです。
そして、私は、いずれ私たちも年を取れば誰かの世話にならなければならない日が来ると思います。誰しもそうです。そのとき、おそらく、その人は喜んで世話をしてくれると思っています。それが、お道で言う通り返しの道なのではないかと思うのです。人のために尽した誠は必ず、何らかの形で返ってきます。
夫婦、家族に結んでくださったいんねんを喜び、そこから陽気ぐらしを生み出す。そしてそれを近隣に、そして世界に広げる。これが、この道の信仰者の道だと思います。
最後にこの教えを世界の人は、どのように見ているのか考えたいと思います。
2002年1月、時のローマ法王が世界12の宗教の代表者をバチカンに呼んで、世界平和の集いを開催しました。それは、2001年9月11日に大変なことが起こったからです。イスラム原理主義の人たちが操縦する2機の飛行機が、ニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込み、大勢の人が亡くなりました。このテロの恐ろしいところは、地域的概念のない戦争になる恐れがあったからです。つまり、アメリカにもイスラム教徒はいますし、中近東にもキリスト教徒はたくさんおられます。従って、地域が分かれない世界戦争になってしまう。まさに世界は壊滅してしまいます。そのことを非常に危惧した時のローマ法王が、宗教を超えて平和を祈ろうと呼びかけたものです。
呼ばれたのは、キリスト教、仏教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教、シーク教、神道、ゾロアスター教、ジャイナ教、儒教、アフリカ民族宗教、そして天理教です。全12教団の中で、キリスト教が若い方に入るような伝統宗教ばかりの中に、なぜ天理教が選ばれたのか。私には分かりません。ただ、バチカンは本当に天理教をよく勉強してくれています。その上で、教義的にも立派な教えだと判断してくださり、呼んでくれたのではないでしょうか。
また今の法王は、ドイツの天理教の拠点開設に、当時ミュンヘンの枢機卿として非常に努力して下さった方でもあります。
また昨年6月、アメリカCNNのホームページに東日本大震災で活躍する天理教災害救援ひのきしん隊が紹介されました。書いてくれたのは、アメリカ・ノースカロライナ大学のアンブロスという准教授です。私は彼女に直接あって、なぜ天理教の活動を紹介してくれたのか聞きました。彼女は、CNNから「今回の大震災で、日本の宗教団体がすばらしい救援活動をしているらしい。しかし、日本のメディアはまったく取り上げないので、私たちが取り上げたい。あなたは日本の宗教研究者だから、書いてくれ」と要請されたそうです。そして、真っ先に頭に浮かんだのが、天理教の活動だったと言います。彼女は、中山みきの研究もしています。
今回の大震災では、本教から約5万人の災害救援隊員が駆けつけました。現地では、大勢の人から感謝の言葉が寄せられています。
教外の人が、教祖の教えをすばらしいと言われます。我々道の者も、懸命に陽気ぐらしの輪を広げる努力していかなければならないと思います。
ご清聴ありがとうございました。