Tenrikyo Europe Centre

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2011年7月月次祭神殿講話

ヨーロッパ出張所長 田中善教

本日は、皆様方にはヨーロッパ出張所7月の月次祭ご参拝頂きまして、ありがとうございます。

さて、昨日は「つとめ」をテーマに、天理教ヨーロッパの集いの初日を行いました。足立先生のお話を頂き、グループワークで、それぞれ、つとめについて、話ができ、有意義な一日であったと思います。そして、本日、こうして月次祭を陽気に、そして一手ひとつに勤めることができ、大変嬉しく思っています。

さて、本日は神殿講話をつとめさせていただきますが、「大恩」というテーマでお話をさせて頂きます。届きませんがおつきあい頂けますよう、お願い致します。

明治34年2月4日に次のような「おさしず」がありました。

大恩忘れて小恩送るような事ではならんで。 明治34年2月4日

私たちは、普段、色んな方のお世話になって生きています。そして、その恩義にたいして、返礼をすることを忘れないようにしたいものです。このような人の恩を小恩と理解するができます。
一方で大恩は何でしょうか。私たちは、親神様の懐と言われるこの素晴らしい世界で、この身体を借りて生きています。日常生活を奥底から支え、抱きかかえて頂いているこの親の守護が大恩だといわれます。
(大恩を忘れずに、小恩を送ることが幸せの元だと思います。)

隔てない日々の神の守護
私たち人間は、神の前には「一列兄弟」であり、分け隔てなく、親の大きなご守護を頂いています。万人に、分け隔てなく、そしていつでもどこにいても頂けるこの守護は、それ故に、うっかりと守護を頂いている事を忘れやすいものではないでしょうか。
この日々の守護、この大恩を知り、感じ、感謝して生きることが、幸せのへのスタートだと私は思っています。

40代半ばになったころ、アフリカのコンゴへ何度も行く事がありました。当時は、私もまだ、結構、良い身体をしていました。おぢばより派遣をされていた私は、一日3食、食事をとることができました。日本と比べると質素な食生活でしたが、コンゴの人たちと比べると、大変良い食事を取っていたといえます。コンゴの人は、内戦後でもあり、一日2食食べるのが精一杯でした。
コンゴブラザビル教会には、数家族が住み込んでいました。その中に、デルファンという、40歳近くの男性がいました。彼は体格もよく、外での仕事が得意でした。ある日、私はデルファンに次のような質問をしました。「デルファン、お前と俺の身体を比較して、神様はどちらにたくさん守護を下さっている?」と質問をすると、デルファンはその身体に力を入れて、大きな胸を張り出して、「それは俺だ。」と自信満々に答えました。本当に貧しい食生活にも関わらず、彼は素晴らしい身体をしておりました。
もちろん私も、デルファンほど力はありませんが、この身体の中に、神様のご守護をたくさん頂いて生きています。皆さんもそうですね。

この国で、若いコンゴの信者さんを連れて、よくおたすけに回っていました。そんな時、病人さんから「次は日本に生まれることができるか。」と質問を受ける事があります。確かに、物質的に恵まれた日本には、コンゴの人にとって、あこがれの生活があるのでしょう。しかし、コンゴ大好きの私は、「多分、無理だと思う。しかし、今ここにいる若者達が、また、その子供達が、これから更に努力をして、次に貴方が生まれてくるときには、このコンゴの国はもっと素晴らしい国になっていますよ。心配しないで下さい。」と答えましたこともありました。

お道を信仰すると、もちろん物の豊かさも楽しむ事はできます。更に、目に見えない、親神様のお働きを感じ取り、喜び楽しむ事ができるようになります。

皆さん、皆さんの身体、例えば顔を触って下さい。目や耳がありますね。目が見える、耳が聞こえる。私はこれが不思議で、そしてありがたいと感じます。

皆さん、外を見て下さい。素晴らしい天気ですね。素晴らしい自然ですね。「火・水・風」のご守護が溢れています。
フランスは、ワインが美味しいですね。特にボルドーワインは最高ですね。今、この時にも、ボルドーのワイン畑で、私が来年に飲むワインの葡萄が太陽の光を浴びて、育っています。私の喜びのために、この太陽が輝いています。ワインだけではなく、今、世界中で私たちが、一ヶ月後に、一年後に食べる食べ物の準備をして下さっています。

私は、家族と共に生きる事のできる日本も好きです。ここフランスでは、ワインや食べ物も美味しいく、また、文化も豊かで、美術館を訪問したり、スペクタクルを見るのも楽しみです。そして何より、この出張所に居ますと、色んな方が、色んな国から参拝に来て下さいます。これが何より嬉しいです。では、コンゴはどうでしょうか。
コンゴの生活は日本人の私に取って、楽なものではありません。しかし、自然が多く残り、また、身上者の方におさづけを取り次ぎ、神様の話が良くできるコンゴは、私に取って神様のご守護を身に感じやすい国でした。そういう意味でも、私はコンゴという国が大好きです。また、そのお陰で、日本にいても、フランスにいても、神様のご守護を感じやすくなっているのではないかと思います。

親神の導き もう一つ、この世界に溢れている親の守護があります。それは日常の様々な出来事を通じ、私たちを陽気ぐらしへと導いて下さっている親心です。

教祖伝に、天保9年に、教祖の口を通じ初めて親神様の思いが伝えられたとき、「元の神の思わく通りするのや、神の言う事承知せよ、聞き入れてくれた事ならば、世界一列救けさそ、もし不承知とあらば、この家、粉も無いようにする。」(教祖伝7ページ)と言うお言葉がありました。人間の自由を無視するようなお言葉です。脅しのような言葉です。
また明治7年、教祖から、仲田儀三郎さん、松尾市兵衛さんに対して、「大和神社へ行き、どういう神様で御座ると、尋ねておいで。」とお言葉がありました。言葉は悪いですが、「喧嘩を売り」に行ったようなものです。この出来事以降、官憲の迫害が厳しくなりました。
この二つの出来事は、どちらも人間にとってはありがたいことではありません。しかし、どちらも「世界一列をたすける」ために、必要なことでした。
ここから私は、「なんとしてでも、人間に陽気ぐらしをさせる。」という強い親の思いを感じます。
これこそが、一番の親心ではないかと、私は考えます。

人間の目から見て、ポジティブなことも、ネガティブなことも、どちらも私たちが陽気ぐらし世界建設に向かえるよう私たちを導く親の心が現れた結果と聞いています。

大恩の世界に生きる 人は誰しも幸せに生きたいと願っています。それは当然のことで、なぜなら、私たち人間は、この地上でたすけあって共に陽気にくらすために、創られ、存在しているからです。

身上や事情は、神様のてびき、導きであって、大難は小難におつれ通り頂いている、と知っています。しかし、そうは分かっていても、人生、時にはつらい事、苦しい事を前に、心が倒れそうになる時もあります。そんな時はまず、この身体の中、そしてこの世界に溢れる大きな大きな神様の日々のご守護を思い出す事が一番です。何がなくても親神様の限りないご守護があります。また、そのご守護の大きさに比べ、それにどのように私が応えているかを思う時、今どのような状況にあっても、不足は言えない、ととりあえずそう思う事ができます。
このように、天理教信者は、ポジティブな考え方から、新たな一歩を踏み出す事ができるのではないでしょうか。

私たちは、この大恩の世界に生きています。

神の望み:たすけあいの世界 さて、このように、神様が私たちをご守護くださっているのは、ご存知の通り、「陽気ぐらし世界」を見たいからです。「世界中の人間が互いにたすけ合って、陽気に暮らし、そして、神もそれを見て共に楽しみたい。」ということです。この神の思いを知り、実践する事が、変わらぬご守護を頂くもとになります。

いつでも、どこでも、誰でもができるたすけあい

私は、今、足首に身上を頂いていますが、自分がその気になれば、色んなたすけあいに参加する事ができると思います。しかし、世界には身体の自由が利かず、また、体中に痛みを感じるような方がおられるとも聞いた事があります。しかし、親神様の守護を頂き、生きている限り、人は誰でも、たすけあいの輪に参加できると思っています。

私は日本にいる時、身体障害者施設でひのきしんをさせて頂いた事があります。あるとき、まったく身体の自由が利かない方々と一緒に時間を過ごした事がありました。私はある寝たっきりの女性の方の横につき、どうしたら喜んで頂けるかと考えました。その時、心に浮かんだのが、世界の様々な国のきれいな風景でした。そのころ私は、天理教の国際支援活動のネットワーク作りに携わっており、アジアやアフリカなどの、物質的には貧しいと言われる国々、その中でも支援の必要な貧しい地域を訪問する事ができました。そこには、様々な自然、様々な暮らしがありました。
私は、身体の不自由な女性の手を握り、心にこの様々な風景を思い浮かべ、この方に、声を出さずに話しかけました。来世は、健康な身体をお借りして、自由に色んな世界を旅できるようと願い、また「必ずそうなりますよ」と話しかけました。
女性のかたは、静かに私を見ていてくれました。そして、「この方の夢を、私は実現している。」そう分かったとき、「この方に私がたすけて頂いた。私が喜びを頂いた。」と感じることができました。
この女性の方の心を無視した、まったく独りよがりのことであったかもしれません。しかし、素晴らしい一時であったと今も思っています。
人は誰でも、いつでも、どこでも、たすけあいの世界に生きる事ができます。その心が幸せの扉を開いてくれます。

そして、この大恩の世界のご守護を頂くために大切なことは、「つとめ」の実行です。

試しの一年 「集い」の挨拶でも申しましたように、この度の「集い」を契機に、これからの一年間、欧州に住まう道の仲間が、日々、おつとめを今まで以上に意識して、暮らせたらと願っています。
特に日々のおつとめをそれぞれしっかりと勤めたいと思います。もちろんおつとめを勤めるためには、みかぐらうたを覚え、手振りを覚えなければなりません。日本人のわたしにとっては、さほど難しい事ではありませんが、日本語を母国語とされない方には、難しい事と思います。
そのような方には、朝夕、手を4回たたき、おぢばの方向を向き、「南無天理王命」と唱えることから初めて頂けたらと思います。

その時に、心に留めて頂きたい事が2点あります。

まず、一点目です。それは毎朝、神名を唱え、この世界に溢れるご守護を感じて頂きたいことです。そして、感謝の心で一日をスタートしていただきたいことです。
二点目は、このご守護をくださっている親の思いを自分のもととして、共有して頂きたい事です。この天然自然のご守護を下さっている親神様の思いとは、「世界中の人間が互いにたすけ合って、陽気に暮らし、そして、神もそれを見て共に楽しみたい。」ということです。

そして、実際に幸せになるために、次にその素晴らしい守護を下さっている神様の思いを実践する事です。すなわち、たすけあいの実践です。そこに、親神様より変わらぬご守護をいただきつつ、道が開けてきます。

そして、毎夕、その日一日に頂いた親の守護に感謝をするとともに、私たちの一日を教祖ひながたに照らして、振り返ってみましょう。

大切なつとめ おふでさきの中で、親神様は私たち人間に、具体的に「こうせよ」と言っていことがあります。それがこの「つとめ」です。
そして、勤めによって様々なご守護を下さると言われています。

おふでさきに:

にち/\にはやくつとめをせきこめよ
いかなるなんもみなのがれるで

とのよふなむつかしくなるやまいでも
つとめ一ぢよてみなたすかるで   10号19−20

つとめさいちがハんよふになあたなら
天のあたゑもちがう事なし   10号34

一方で、その親神が私たち人間に「心の自由」を与えています。私たち人間は、この世界で自分の人生を主体的に自由に生きることができます。そういう理由もあって、つとめの大切さは分かっても、納得できないことは、なかなか実行できません。
天理教の神様は、私たち人間に「疑ってはいけない。」と仰られますが、「試してはいけない」とは仰っておられません。そして、証拠を見せたいとも言われます。これからの一年、日々おつとめを勇んで勤めることで、何かが変わるでしょうか。是非、欧州の教友の皆さんと一緒に試してみたいと思います。如何でしょうか。

親神様は、時間を超越して、前生、今生、そして来生までも視野に入れて、私たちが幸せになることを望んでおられます。また、空間を超えて、世界中の人間の幸せを願いつつ、私達一人ひとりを幸せへと導こうとされています。 その親神の思いを人間の私が掴みきる事は無理かもしれません。しかし、必ず「証拠」を見せて下さるものと信じます。

これから欧州の各地で、今まで以上に勇んで「つとめ」を勤め、その結果を楽しみに、この一年を共に過ごしたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

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