Tenrikyo Europe Centre

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2019年6月月次祭神殿講話

天理教婦人会本部委員 梅谷潤子

本日は、ヨーロッパ出張所の6月の月次祭が賑やかにつとめられましたこと、心よりお喜び申し上げます。

また、ご参拝を賜ります皆様方には、それぞれのお立場で、お道の上にご丹精いただきますことを心よりお労い申し上げます。誠にご苦労様でございます。

私はこのたび、婦人会本部より決起の集いの講師として派遣いただき、その上、今日は貴重な時間をいただいて、皆様にお話をさせていただくこととなりました梅谷潤子と申します。誠に届かぬものでございますが、どうぞよろしくお願いいたします。

私はおぢばで生まれ育ち、そして縁あって梅谷の家に嫁がせていただきました。

生まれてから今まで周囲はもちろん、ごく当たり前のように信仰が中心の生活をさせていただいたように思いますので、信仰に対して何の疑問も感じることなく、大きくなったように思います。からと言って、私自身が立派な信仰者なのかと問われれば、決してそうではありません。教えについても、まだまだ知らないことも多く、のほほんと過ごしてきたように思うのです。潤子はまだまだ成人できていないなあ、そんな風に親神教祖もご覧になっているのではないでしょうか。

そんな私でも、主人と結婚し、子供も与えていただいて四人の子供の母にもしていただきますと、これまで分からなかったことや考えても見なかったことをいくつも味わわせていただくことがあります。私自身も年齢を重ね、親と同じような経験をすることで、改めて感じるこの教えの有難さや素晴らしさがあるように思います。そんなお話の一つをさせていただきたいと思います。

皆さんはお守りを身につけていらっしゃるでしょうか?

私も身につけていますが、自分の子どもには生まれてすぐ、初参りでおぢばに帰らせてもらった時に、お守りをいただくことにしております。

おぢばに帰った証拠、その上からの証拠守りとお聞かせ頂くものであります。

でも、最初は正直迷っておりました。小さいうちからお守りをいただいても、無くしてしまったら申し訳ない。第一、本人がお守りがどんなものなのかも解らないのに、形だけをまねてお守りをぶら下げてても意味がないと、そんな自分勝手なことを考えていたのであります。

しかし、梅谷の母からお守りの話を聞いて、その心を改めました。それは、昨日もお話しましたが、主人の姉が出直した時の話でありました。

主人の姉と申しましても、私が嫁いでくるずっとずっと以前の出来事であります。その姉は当時一歳十か月、ヨチヨチ歩きの赤ん坊の時分に、詰所会長宅のお風呂場で溺れて出直しをしたそうなのです。ちょっと目を放した隙に、一人で遊んでいて、そのままお風呂場の水だめに頭からはまって、溺れたのだと聞いています。その当時は、四月十八日から二十六日まで教祖誕生旬間という慶祝旬間がありまして、毎日かんろだいを囲んでのかぐらづとめもつとめられていました。父や母はもちろん、詰所中がみんな、何かと忙しくしていたのだと思います。ふと子供がいないことに気付いて、みんなで探し回ったそうです。あちこち探してようやくお風呂場で沈んでいる子供を見つけて、当時、出来たばかりのいこいの病院へも運んでいただきましたが、残念ながら出直しをいたしました。その時の両親の気持ちを想像すると、つらかっただろうなあ、悲しかっただろうなあと思うんです。

そんな中でも、梅谷の信仰の初代でもあります梅谷四郎兵衛が入信後、同じ様に子供を亡くした時に教祖から聞かせていただいたお話、逸話篇にございますが、「大きい方でのうてよかったなあ。」というお言葉を自分たちの心の支えにして、通ってくれたのだと思います。

確かに出直しました子供は、主人の両親からいたしますれば、五番目の娘、五女でありました。すでに上に四人の女の子がいたのであります。それでも、大きくても小さくても何番目であろうが、我が子を亡くすと言うことは、親にしてみれば自分の身を切られるよりつらいものであります。このことだけは、たとえ子供を亡くした経験が無くても、親にしていただくだけで私も想像できるものだと思います。それから、長い月日が経っていましたけれども、子供をなくした時の様子を母に尋ねてみたのであります。母は即答でありました、もちろん悲しかったと。

けれども、次のことを聞かせてくれました。風呂場から引き上げられた時、子供が頂戴していたお守りが、びしょ濡れの身体にピタッと貼り付いていたそうです。それを見た時に、「ああ良かった。この子は一人っきりで出直したんじゃない、教祖に抱きしめていただいていたのだと、心からそう思えた」というのであります。

そして「あの時、もしも自分の都合で、親の都合で、子供に頂戴していたお守りを付けてやってなかったら、私は一生、あの子を出直させてしまったことを後悔したと思う」とそんな話を聞かせてくれました。残念なことに変わりはありません。それでも、我が子を亡くす、そんな厳しい節でさえ、後悔もせず、良かったと喜びさえ感じさせていただけるということ。私が、教祖から頂戴するお守りの凄さとありがたさを、改めて教えていただいた瞬間でもありました。

私自身、特別な意識なく身に付けていたおまもりでありましたが、私は私の両親と同じように、後悔したくはありませんから、自分の子供にお守りを付けさせているんだと思います。そして、いつもいつも、教祖がついてくださってるなあ、うれしいなあって話をしているんです。お守りをとおして、少しでも子供たちにも信仰の喜びを伝えたいと実践している毎日であります。

信仰は、代を重ねることで結構にしていただける。

不思議なめぐり合わせでありますが、私の長女はたつ年生まれで亡くなりましたその姉と丁度同じ干支の年まわりでありまして、両親が残念ながら大きく育てることのできなかった子供を、今度は私たちの子供として親神様がお返しくださり、現在育てさせていただいているようにも思えるのであります。そう思うからでありましょう、娘が年を一つまた一つと重ねるごとに、ただそれだけで有難いなあ、嬉しいなあと、ご守護を実感できるのであります。本当に有難いことであります。世界の人に先駆けてこの道にお引き寄せいただいた私たちには、この素晴らしい教えを子供たちへはもちろん、一人でも多くの人に伝え広めるという大きな使命があります。そのためには私たちがまず、ご守護をご守護と感じ、喜び溢れる日々を送ることが出来なければなりません。

私たちの教祖は、口で伝え、筆に記し、万人のひながたとして通って見せて、理解できない人々を導きお育て下さいました。分からない者には何度でも、優しく丁寧に教えを説かれ、自ら身をもってお通りくだされているのです。これこそ、信仰の喜びを伝える側である私たちの、誠にありがたい手本ひながたなのであります。教祖が難儀な道中も、お子様方を励まし、言葉を添えて喜ばせ、ご一緒に喜び勇んでお通りくだされたお姿が、私たちの手本であります。私たちに信仰者としての熱があるならば必ずや、人から人へ、また親から子供へと、その熱は伝わるものだということを、尊いひながたの中からもお教えいただいているお互いであります。喜びを伝える努力を、惜しまず共々にさせていただきたいと思います。親々の信仰のおかげでどれだけお徳を頂戴しているのかは分かりません。しかし、私たちも同じように子供たちへ孫たちへ、もちろん血の繋がった者に限らず理の子供にも、その徳は引き継がれるのであります。

皆様方には、これまでにも増してたすけ一条の上に、きめ細やかなご丹精を賜りますことを、大変高いところからではございますが、重ねてお願いいたしまして、本日の私のつとめとさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

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