Tenrikyo Europe Centre

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2007年6月月次祭神殿講話

財団法人天理よろづ相談所理事長 横山一郎

皆様方には、ヨーロッパの所々において、道のよふぼくとして、おつとめ下さいまして、誠に御苦労様でございます。

また、本日は、ヨーロッパ出張所6月の月次祭にあたり、各地からお集まり下され、ただ今、滞りなく賑やかに、おつとめをつとめていただき、誠におめでとうございます。参拝させて頂きましたので、しばらくお話をさせて頂きます。どうかご静聴のほどお願いを申し上げます。

実は、この神殿は、今から18年前の1989年の秋に、落成を見たのであります。私は、その年の4月に、当時勤務しておりましたヨーロッパ課長を辞任いたしました。したがって、奉告祭の時には、参拝させて頂くことができなかったのであります。

しかし、この神殿の設計段階から、いろいろと携わっておりましたので、非常に心にかかっていた建物でございます。今日こうして、ここでお話をさせて頂くのは、私にとりましては2回目のことであり大変嬉しく思っております。今から11年前の1996年、ヨーロッパよふぼくの集いで初めてお話をさせて頂きましたが、非常に感慨深いものがございました。また今日は、私と共に、天理よろづ相談所病院憩の家の事情部の講師の方々十数名が、参拝しておられます。

憩の家は、医師220人、看護師650人を抱える日本でも有数な大きな病院でございます。毎日、900人ほどの患者さんが入院し、治療を受けておられます。また、外来患者さんは、1日2000名を超えているのであります。

この憩の家には、事情部という組織がございまして、これは、医師の治療のほかに、患者さんの精神安定、心だすけを行う部署であります。病院ですから日曜休日は、診療はお休みでありますが、事情部は、入院患者さんに対して、1年365日。1日の休みもなく、おたすけ活動を進めております。1日約200人。年間にいたしますと、約7万人の患者さんに、おたすけ活動をさせて頂いているのであります。

明治26年10月17日、1893年10月17日の『おさしづ』に、

薬を以て治してやろうと言うのやない。脈を取りて救けるのやない。医者の手余り救けるが台と言う。・・・・

というお言葉があります。「このお道は、医者の手余りをたすけさせて頂くのだ」というお言葉でございます。

医者の手余りというのは、文字通り、お医者さんが、手を放した、もうたすかる見込みはないと思った重病人。医者の手余りであります。

その他に、医師が携わらない患者さんの心のおすけ、精神的なおたすけ、これも医者の手余りであります。この医者の手余りをたすけさせて頂いている。これが事情部の活動であります。そういう意味では、憩の家は世界に例のない病院であり、我々は、そうした所に勤めさせて頂いているという喜びと誇りを持って、日々勤めさせて頂き、おさづけの取り次ぎに励ませて頂いているのであります。

おさづけについては、よふぼくの方は頂戴しておられますから、よくご存知と思います。今から4年前の2003年の秋、ヨーロッパ陽気ぐらし講座に私は出講させて頂きました。ロンドン、リーズ、ミュンヘン、ローマ、そしてパリに戻ってお話をさせて頂いたのであります。

この時私は、ロンドン、リーズ、ローマなどにおいて、お話の後、身上を持っておられる、病気で悩んでおられる人に、おさづけを取り次がせて頂きました。一部信者の方もおられましたが、お道を知らない初めての方に、おさづけを取り次がせて頂いたのであります。その後、ヨーロッパの方々に、「先般私が、陽気ぐらし講座に出講した時に、おさづけを取り次がせて頂いた方々は、その後どうしておられるか」とお尋ねをいたしました。そうしますと、ほとんどの答えが、「おさづけを受けられた方は、その後快方に向かっております。良くなっております。」と言うお返事でございました。

私は、このおさづけのすばらしさは、日本だけに留まらず、おさづけは、万国共通であり、親神様が御守護下さる非常に大事な身上たすけの手だてである、ということを実感させて頂いたのであります。

教祖は、「人をたすけて我が身たすかる」とお教え下さいました。私たちよふぼくの周りには、病んでいる人が大勢おられます。そういう人たちに勇気を持って、おさづけを取り次がせて頂くということを、教祖はどれほどお喜び下さるかわかりません。私たちよふぼくは、こぞっておさづけの取り次ぎに励ませて頂きたいと思うのであります。

 

私たちの天理教の教えの目的は、陽気ぐらしをすることであります。『おふでさき』に、

月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから   十四25

とお教え下さっております。人間が陽気ぐらしをするのを見て、親である親神様も共に喜び楽しむ。こういう世界が、目標だとお教え頂いているのであります。

私たち個人的にとりましても、日々陽気に暮らさせて頂くということは、実に大事なことでございます。『みかぐらうた』の中には、

いつまでしんじんしたとても
やうきづくめであるほどに

と仰せ下さっております。陽気づくめというのは、いつも陽気でいるということであります。人生は、楽しいこと、嬉しいことばかりではありません。むしろ、苦しいこと、辛いこと、我慢しなければならないことが多いのであります。

しかしながら神様は、「いつまで信心したとても陽気づくめなんだ、陽気づくめが大事なんだ」とお教え下さっているのであります。

ですから私たちは、どんな中にも、生かされているということを本当に喜んで通らせて頂くということが、陽気ぐらしの基本だと、私は思うのであります。

私たちの体は、神様からの「かしもの」、人間私どもにとっては、「かりもの」だとお教え頂いております。『おふでさき』には、

にんけんハみな/\神のかしものや
なんとをもふてつこているやら   三41

また、

めへ/\のみのうちよりのかりものを
しらずにいてハなにもわからん   三137

と仰せ下さいまして、この神様から体をお貸し頂いているということを、本当に心の底から分からせて頂くところに陽気ぐらしをさせて頂くもとがあると思うのであります。

神様からお貸し頂いているこの体は、神様がお創り下さったものでありますから非常に丈夫にできております。人間の造ったものですと、どんな立派な自動車でもカメラでも、人間の造ったものは、何十年もなかなか使えない、故障がでるのであります。しかしながら、神様からお借りしている私たちのこの体は、実に弱そうでも丈夫にできているのであります。

私は、ただ今71歳でありますが、この71年間、部品の交換はしたことがありません。生まれたままの道具を使わせて頂いているのであります。71年間耳も聞こえます。目も見えます。手足が動きます。本当に丈夫なものをかして頂いていると思うのであります。時々故障はいたしますが、部品は交換しなくても、数日で御守護頂くことができる。大きな身上を頂いても、しっかりと心改め養生すれば、神様は、元通りに治して下さるのであります。

去年の9月に日本の新聞に、こういう記事が出ました。

フランス人のセルジュ・ジラールさん52歳が、今月上旬東京で歓喜のゴールを迎え、家族や関係者と抱き合って喜んだ。昨年12月にパリを出発し、260日と17時間52分でユーラシア大陸の1万9097キロを走り抜けた。踏んだ土地は、日本を含めて、19ヶ国。特に中国の移動は、過酷で蜂の大群に悩まされたこともあった。早朝から1日平均十時間走り、体重は出発時より、10キロも減ったが、日本では、お寿司の魅力に取り付かれ、雄大な景色や「頑張って」の声援が力となった。と振り返えった。

という記事であります。世界には、いろんな人がおられますが、このフランス人はすごい人だなあと思います。260日かけて、2万キロ走り通した。パリからずっと日本東京まで、一部船に乗ったところもあると思いますが、19ヶ国走り抜けた。そうして、27足のシューズを履き潰したと書いてあります。27足だから10日に1足靴が、破れているのであります。この靴は日本の有名なスポーツメーカー「ミズノ」が、ジラールさんのために造った特殊な強いランニングシューズであります。これを27足履き潰したということであります。

しかしながら、ジラールさんの足の裏の皮が破れたということは、書いてありません。足の裏は、出発した時と同じ足の裏。破れることもなく、東京にゴールインされた。

神様の創られたこの人間の体。足の裏の皮なんて薄いものであります。けれども、2万キロ走っても破れない。これが私たちの体であります。神様は、そういうすばらしい体を私たちにお貸し下されているということを、まずしっかりと喜ばせて頂くということが大切であります。

20年ほど前に、私はヨーロッパ課長時代に、この出張所で、何回かお話をいたしました。その時に申し上げた話でありますが、今からもう20数年前、スイスの医師ベータ・イラン博士が、人間には物を見る、耳で聞く、色んな機能がある。この機能を計算して、人間の体は、いったいどれくらいの値段でできるのだろうかと、試算されたのであります。なかなかいろんな意見があるから、その計算の仕方は、難しいと思いますが、その時のベータ・イラン博士の出した数値は、男約20億円、20億円。ユーロにしたらいくらになるのでしょうか。20数年前のことですから今はずいぶん値上がりしていると思います。20億円。

女性は、私はこれを聞いて驚いた。女性は、なんと93億円。男の4倍以上であります。どうしてこんなに女性が高いのかと申しますと、子供を産むという機能。そして赤ちゃんに母乳を飲ます。こうしたことを司るホルモンが、なかなか簡単にはできない。非常にこれは高価なものである。だから子供を産まない男は20億で、子供をお産みになる女性は、93億だと聞いて、私は改めて家内の顔を見て、頭を下げたのであります。しかし、私の家内も、もう子供を産めませんから、今や20億だと思いますが、いずれにしても非常に高価なものを私たちは、神様からお借りしているということをしっかりと喜ばせて頂く。これがお道の信仰する者の日々の基本的な心の持ち方であります。

しかし、よろこぼう、陽気に通らせてもらおう、と思っても、身上や事情でなかなか喜べない時もあります。これは、例外なしに誰でもそういう時があるのであります。けれども、教祖は、

いつもたすけがせくからに
はやくやうきになりてこい

と『みかぐらうた』の中で仰っている。たすかってから陽気になるというのなら、誰だってできるのです。信仰がなくてもできるけれども、教祖は、一日も早く救けてやりたい、だから早く陽気になりなさい、どういう状況の中でも、しっかりと喜びの心を持ちなさい、と仰せ下さっているのであります。

『おさしづ』のなかでは、

身上不足でありながらたんのうは一寸に出けようまい。なれど世界事情を見て、真実にたんのうすれば、その理を受け取る。(M23・12・27)

こういうお言葉がございます。体が不自由であるとなかなか喜べない。たんのうというのは、成ってくることを喜ぶということであります。

たんのうはできないだろうけれども世界中を見て真実たんのうすれば、すぐに受け取る。世界を色々眺めますと、いろんな人がおられる。もっと自分より苦しんでいる人がおられる。

私どもも、憩の家で勤めておりますといろんな病人さんの姿を見ます。そういう病人さんの姿を見ると、「自分はちょっと、どこそこが悪い」と言っても、そういう人からすれば、喜べるのであります。だから神様は、

いつまでしんじんしたとても
やうきづくめであるほどに

いつもたすけがせくからに
はやくやうきになりてこい

こう仰せ下さっているのであります。

しかし、なかなか人間は、そう簡単に思うようにはまいらないと思いますが、世界でも名を成す人、出世される人は、陽気なのであります。

アメリカの鉄鋼王と言われたアンドリュー・カーネギー。カーネギーホールという有名なホールがあって、世界の音楽家たちが、その舞台に立つのを憧れる有名なホールであります。このホールを造ったアンドリュー・カーネギーは、13歳の時に、スコットランドからアメリカに移住いたしました。鉄道建設で財を成したのであります。ものすごい金持ちでありますが、非常に質素で社会福祉に莫大な資金を投じました。自分は非常に慎ましく暮らして、すごく多額のお金を社会福祉に使った。だから有名なのであります。この人の言葉に、

体と同様に、人間の心も日陰から移動して、日光浴をさせることができるのだということを知って頂きたい。日の当たる場所に出ようではないか。できれば、困ったことも笑いで吹き飛ばそう。

とこういうことを述べて、心の日光浴を提唱された、という話が残っております。

カーネギーも、スコットランドから移住して、苦労されたと思います。しかし、心の日光浴をしよう、笑いで吹き飛ばそう、こういう心が、彼をして、成功者に導いたのだと思います。

だから私たちも、いろんなことがあります。けれども、こういう心になれるように、努力をしなければならないと思うのです。ところが、理屈ではわかっていても、やはり徳がないと、なかなかそういうような思いにはなれない。なぜ私だけがこんなに苦しむのか、どうして私がこんなにつらい目に遭うのか、そういう思いにすぐなるのです。

ところが、徳ができますと、苦しいことがあっても笑い飛ばせる。だから徳を積むということが大事なのです。徳というものは、目には見えません。目には見えないけれどもあるのです。空気と同じなのです。空気も電気も見えないけれども、空気や電気は、人間にとって不可欠なものです。それと同じように、陽気ぐらしするためには、人間にとって、目に見えない徳というものが、不可欠であります。

その徳を私たちは、日々に積ませて頂くことが大事であります。教祖の五十年のひながたは、まさに私たちに、徳積みを教えて下さったひながたでございます。

その中でも、特に大事なのは、「つとめとさづけ」「おつとめとおたすけ」であります。今日もおつとめをつとめて頂きましたが、私たちのこの天理教は、今から170年前にできました。当時、日本は侍の社会。一般民衆が、非常に苦しんでいた時代。日本は鎖国といって、今の北朝鮮のように、外国とはお付き合いをしない。国を閉ざして、自給自足していた時代であります。それぞれの国民は、自分の住む閉鎖社会の中で、暮らしていた。その時に親神様は、教祖の口を通して、「このたび世界一れつをたすけるために天降だった」と仰せになった。

だからお道は、中山家の繁栄のためにできた教えでもない。我々一人一人の幸せのために生まれた拝み信心でもない。世界たすけの教えだということをしっかりと心に置かせて頂いて、おつとめをつとめる時は、自分のことをお願いするのも、必要でありますけれども、まず世界たすけを念ずる。

世界の各地では、いまだに紛争が絶えません。フランスでも、苦しんでいる人は大勢おられると思います。そういう世界の人たちの幸せを念ずる。これがお道のおつとめの基本でございます。そして、世のため人のために、しっかりとしたお祈りをさせて頂き、その後で、ちょっと自分のことをお願いさせてもらう。ついでに自分のことをお願いさせて頂く。これを神様は、お受け取り下さると私は思います。自分のつとめさせて頂くおつとめが、世界たすけのおつとめだと思えば、皆さん勇めるではありませんか。私はとどかないけれども、世界たすけをお祈りしているのだ。そういう気持ちで、おつとめをつとめさせて頂くことが、大切であります。

そうして、その世界だすけを祈念したおつとめの理を戴いて、私たちは、おたすけをさせて頂く。おさづけを取り次がせて頂くのであります。

「つとめとさづけ」は、二つで一つ。親神様の非常に大事な御用であると思うのであります。「人をたすけて我が身たすかる」と仰せ下さるように、人の幸せを念じ、また、そのつとめの理で、周りの困っている人たちへの「にをいがけ・おたすけ」をさせて頂くのであります。

人間の体は、先ほども申しましたように、非常にすばらしい。実に丈夫に創られている。この立派な丈夫な体は実に便利に出来ているけれども、良く考えますと、「自分のためよりも、人のために使いなさい」という神様の思いが込められて創られているように感じるのであります。「自分のためよりも、人のために使いなさい」という創造主の神様の思いが込められたのが、私たち人間の体だと、私は思うのです。どうしてかと言いますと、私の目は良く見えますが、私はまだ自分の顔を見たことがないのであります。見えないのです自分の顔は。鏡でしか自分の顔は見えない。皆さんだってそうです、ご自分の顔は見えない。また、ちょっと背中が痒いと思いましても、背中になかなか手が届かない。届くところもありますけれども、絶対届かないところもある。他人の体ならどこでも届きますが、自分の体では届かない。自分で自分のマッサージは、足ぐらいならできますけれど、背中のマッサージは、自分ではできないのです。自分のことよりも、人のことならできる。これが基本的な人間の体だと思うのです。

ある有名な美容師がおりまして、この方は、世界の大会でも入賞するというような美容師。カリスマ美容師なんて言われましてね。この人に有名人が、頭を綺麗にしてもらう。聞くところによりますと、一回やってもらうと何万円とのことです。すごいカリスマ美容師。ところが、この何万円の腕をこの方は、自分の頭には使えない。それで、あるテレビ局の人が、その方に、「ところであなたは、すばらしい腕を持っておられますけど、ご自分の頭はどうされていますか。」「私は、5千円でほかの美容師さんにやってもらってます。」こういう話であります。

だから、私たちの体は、人のために使わせて頂くように、神様は創っておられる。またその思召しに沿って、人さんのために、使わせて頂くというところに、自分自身の幸せ、陽気ぐらしへの道をお与え下さるものだと私は思わせて頂くのであります。

ともいたしますと、私たちは、いんねんに負けます。いんねんというものも見えません、徳と同じように。徳が良いいんねんならば、普通いんねんと申しておるのは、悪い方であります。その悪いいんねんは、陽気ぐらしをする邪魔をする。なかなか分かっているけれどもできないのが、いんねんであります。『おさしづ』には、

成ろうと言うて成るものやない。又、成るまいと言うても成りて来るいんねん(M32・9・3)

とお聞かせ下さいます。だからこの悪いいんねんを切らせて頂いて、思ったことが思うようにできるそういう御守護を戴くことが、我々人間にとっては、非常に大事なことである。そのためには、神様から無料でお借りしているこの立派な体を人様のため、世のために使わせて頂く。「にをいがけ・おたすけ・ひのきしん」そうしたことを通して、日々道の御用に励ませて頂くことが、世のためになり、人のためになりまた、自分の幸せにも繋がっていくと思うのであります。

どうか皆様方、日頃はそれぞれの立場で御用に励んで頂いていると思いますが、さらにこれからも、日々勇んで親神様・教祖にお喜び頂けるような「にをいがけ・おたすけ・ひのきしん」にお励み頂き、ヨーロッパの道が、この出張所を中心にますます伸びていきますことを心から御祈念申し上げて、私のお話を終わらせて頂きます。ご静聴ありがとうございました。

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