2021年12月月次祭神殿講話

ラ・セーヌ布教所長夫人 篠田まい

2021年もあと3週間で終わります。振り返ってみますと、私の周りでの大きな話題は、新型コロナウイルスのワクチンで一年間もちきりでした。ワクチンを接種したとかしないとか、子供にワクチンを接種させるかどうかなど、まだまだ未知のワクチンに対する恐れや個人差のある副反応に皆迷い戸惑っていたように思います。このワクチンは、人によって副反応の出方が大きく違い比較的年齢が若い方が反応しやすいとも言われていますが、やはり、それも人それぞれです。また、ワクチン摂取後の抗体量も人によっては、まったく増えない人もいたり、一度は抗体がついてもすぐに抗体量が減ってしまったりする人も少なくないともききます。

そのような情報にいちいち不安になり、私は、自分自身が、親神様に抗体をつけて頂ける心遣いや行いをしてきたのかと自問自答し、毎回、「うん、足りない。」と思ってしまっています。

この体は親神様からの借り物です。そして、私たちが生きているこの地球は神のからだ、心ひとつが我がのものとお聞かせいただいております。

親神様は混沌とした泥海の世界を味気なく思い人間が陽気暮らしをする様をみてともに楽しみたいと思し召されて人間をお作り下されました。

陽気暮らしをするための、心の遣い方とは、どういうものでしょうか。

逸話編の135号に「世界はこの葡萄のようになあ。皆丸い心で繋がり合うていくのやで 先永う楽しんでとおる道や程に。」という、教祖が小さな子供に葡萄をあげる時にかけられたお言葉があります。

逸話編の26号には、「木綿のような心の人を神様はお望みになっているのやで。」いうお話もあります。これは、木綿という生地は使い道が広く冬は暖かく夏は汗を吸って心地よく、洗濯にも強く、古くなったら雑巾にもできるという生地の特性に例えてお話しくださっています。みなに親しまれ、好かれるそんな心を望んでいらっしゃるのです。

また、反対に、思召に沿わない心の遣い方をほこりに例えてお話くださっています。

私は、何度も八つのほこりのお話をきき、読み、頭ではわかっていてもなかなかほこりの心を使わずにいることができません。家では、子供たちが片付けないとか、約束したゲームの時間を守らないとか、小さな事にイライラし、ママはいつも怒っていると言われます。夫には、そんなに、イライラしなくてもいいのに、、、笑っていてくれたらいいのに。と言われます。「それなら、私が笑っていられるようにして!」と、そのストレスの矛先は時に夫に向けられてしまう始末です。

私は理由があってイライラしているのでそれが解決したらストレスがなくなるのかといえば、そうではないはずです。私の思い通りにしたいという身勝手な気持ちがなくならなければ何かしらのストレスはどんどん新たにうまれてくるのです。

八つのほこりの中にある、こうまんそして腹立ちという典型的なほこりの心遣いです。

このような家庭での小さなストレスは優しい気持ちになって考えたら、解決する方法もたくさんあるのです。

ストレス社会と言われている現代ですが、この八つのほこりを理解して通ることができたなら、日々のストレスをだいぶなくすことができるのだと思います。

また、私のように日々ほこりをどうしても積んでしまった時は、おつとめをすることによって払えるとお教えくださっています。

せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ
神がほふけやしかとみでいよ三 52

ほこりさいすきやかはろた事ならば
あとはめづらしたすけするぞや三 98

親神様からお借りしている身体に日々感謝して身をもって表す行動に、ひのきしんという行いがあります。

ひのきしんとは、「親神様からお借りしているこの身体を日々のご守護を頂くことで生きているという感謝の気持ちからの行為で、かしものかりものの理が真に心に治った時にその喜びと感謝がおのずから行動となって現れでるもの」とあります。

身体を動かさず毎日何もせず自分のことばかりにとらわれて過ごしていると、気分が落ち込んできます。また、逆に気分が落ち込み鬱状態になると、身体も動かせなくなってしまいます。身体と心は連動しているのです。

毎日働ける、元気な身体に感謝すること、感謝することのできる元気な心を持ち続けられるようにしっかり体を動かすことはとても大切なことだと思います。

やむほどつらいことはない
わしもこれからひのきしん三下り目 八つ

今、お話しました、ひのきしんのもう一つ先に進んだのが、「おたすけ」です。

中山善衞・三代真柱様は、次のように仰せになっています。

おたすけということは人をたすけることであります。人をたすけるということは、ただ病気を治すことじゃないんです。病気が治ったからというて、おたすけが済んだんじゃないんです。おさづけを取り次いでいただいて、もし病気がよくなったという結果を見たならば、私は取り次いだ人も取り次がれた人も、きっと、なるほど親神様の御守護だと心に感得するだろうと思います。かくなる上は、私もあの人と一緒ににをいがけ・おたすけをさせていただこう、そうして人をたすける心を持って思召に応えさせてもらおう。そういう心のところまで人を育てることが、私は本当のおたすけだと思うんです。(第35回新任教会長の集い)

私にとって、未信者の方におさづけを取り次ぐのはとても勇気のいることです。いきなり、お道のお話を初めて、おさづけを取り次いだら人はなんと思うのだろうか、私のことを変な人と思うのではないだろうか、友人関係が壊れてしまうのではないだろうかと、人間思案ばかりにとらわれてしまいます。でも、どうしてもこの方の気持ちを楽にしてあげたい、早く病気が治って欲しいという思いで何度か取り次いだことがあります。私の嫌われたらどうしようというバカな心配は取り越し苦労となり今でも良い関係が気付けています。

その方々に私の気持ちが届いたのかはわかりませんが、神様が受け取ってくださったのかなと思っています。

また、少し前に、主人が緊急入院し、手術をしたことがありました。いつも元気で、体力があり、風邪もあまりひかないような主人です。本人が一番驚いたと思いますが、私もとても驚き同時に不安な気持ちでいっぱいになりました。そんな時に、長谷川所長さんが毎日病院にお見舞いに来てくださり、おさづけを取り次いで下さいました。毎日取り次いてくださるおさづけで、何より、私がとても安心し、神様がついていてくださっているきっと神様が助けてくださると精神的な支えになりました。鮮やかな身上の助かりはもちろんのこと、辛い時に相手の心に寄り添って神様に祈るということも大切なおたすけなのだと思いました。

今年は51周年記念祭を規模が縮小する形となりましたが執り行うことができヨーロッパ教友の皆様と喜びをわかちあうことができました。ヨーロッパの布教に携わられた先人の方々の想いをしっかり後世に伝えていけるように、私も成人させて頂かなければいけないと改めて考えました。

2021年もあと3週間で終わります。出張所の年末の大掃除では、この一年間、元気に通らせていただけたことに感謝の気持ちを持ってしっかりとひのきしんをし、心のほこりを払わせていただければと思います。

ご清聴ありがとうございました。

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