2019年5月月次祭神殿講話

ロンドン桜井布教所長 サイモン・パタソン

私が出張所に初めて来させていただいたのは、1985年のようぼくの集いの時です。それは今から34年前、妻と結婚した年でして、おさづけの理を拝戴する1年前でした。妻は、日本での結婚式を終えてから、同じ年に義妹と一緒に出張所を訪れていたようです。当時はソーシャルメディアやEメールもなく、お互いに顔を合わせるのがとても大切な時代でしたが、それは今日でも変わりないでしょう。出張所は雰囲気がとても良く、皆さんとても親切で、それが私の天理教のイメージに大きく影響を与えました。

この34年間を振り返ると、出張所の存在は私にとってかけがえのないものでした。たくさんの友人ができ、多くのことを学び、そして多くの行事に参加してきました。また、信仰的にもつながりの深い場所です。

その中でもとくに思い出に残っているのは、1990年にあったこの出張所の神殿落成奉告祭で、座りづとめの拍子木をつとめさせていただいたことです。三代真柱様ご夫妻は座りづとめの芯をおつとめくださいました。参拝者にとってとても貴重な機会となりましたが、三代真柱様ご夫妻と一緒におつとめ奉仕者としてつとめさせていただきとても光栄でした。

もう一つ記憶に焼き付いているのは、2000年に教祖のお社が祀られた時です。これは教友の皆にとってもとても大事な瞬間で、ヨーロッパの道の一里塚となりました。出張所に教祖のお社が祀られているというのはとても有難いことで、参拝に来させていただく度にいつも感謝しています。それは、教祖と私たちがお互いに近く感じられるからです。出張所に教祖のお社があるのは、とても有難いことだと思います。

私は、妻、妻の母、妻の祖父母を通して天理教に引き寄せられましたが、結婚前におぢばがえりをするよう勧められました。ご本部の神殿に足を踏み入れた時に感じたのは、張り替えられたばかりの畳の匂い、とても広々とした空間、そして家に帰ってきたという感覚ですが、それは今でも記憶に残っています。初めて会った方に「おかえりなさい」と声をかけられたりと、人生で一番感動した経験の一つです。私が天理教の信者になったのは、その瞬間だったように思います。まるで私を包み込むようなものすごいエネルギーを感じましたが、とても不思議な感覚でした。きっと教祖が「おかえり」と迎えてくださったのでしょう。

おふでさきの冒頭にあるお歌、そしてよろづよ八首には、次のお言葉があります。

このところやまとのぢばのかみがたと
いうていれどももとしらぬ

このもとをくはしくきいたことならバ
いかなものでもこいしなる

私はよく、イギリス人として天理教のどこが特に気に入っているのかを尋ねられることがあります。私にとっては、天理教は混じりけがなく他の教えにはないものを教えてくれる宗教でして、その教えを身近に感じるのにはたくさんの理由があります。

一つ目は、神様が年老いた日本人の女性を通して教えを説かれたということです。これは私にとってとても際立った特徴です。

二つ目は、親神様が教祖を通して、我々は皆神様の子供であり、親神様の目から見れば皆等しいと説いてくださったことです。老若男女問わず、高山にいても谷底にいても、世界中が皆そうだということです。

三番目は、身体は神様からの借り物で、心一つが自分のものという教えです。そして、心遣いによって運命が切り替わるということです。これは常に心に留めておくべきことだと思います。

四番目は、人をたすけることによってのみ、自分自身をたすけていただくことができるという教えです。つまり、自分たちだけではなく他人をたすけることを考えなければならないということです。また、「里の仙人」になって、日々の生活や行動の中でにをいがけをしていくのが大事だとも教えられています。

五番目は、他宗教やその礼拝所に敬意をはらうべきという教えです。先日は、パリ市内のノートルダム大聖堂が火災に見舞われ、とても心が痛みました。

六番目は、この世は神の身体であり、私達自身、そして私達が飲み食いするものも含めて、周りにあるものは全て神様の一部だという教えです。

七番目は、地球上の人間は月日、そして親神様、教祖のふところ住まいをしているという教えです。

八番目は、人間の心や魂は、それが生まれた時は陽気で、感謝の心に満ち溢れ、他人を思いやり、周りと調和して生きることができるものとして創られたという教えです。そして、親神様は人間をつくりその陽気ぐらしをするのを見て共に楽しもうと思われたということです。

教祖は、私たちの元のいんねんは、幸せで陽気になり、何事にも喜びをみつけらるものだと教えてくださっています。

おさしづに、

心を合わせ頼もしい道を作りてくれ。あれでこそ真の道であると、世界に映さにゃならん。(明治35年9月6日)

とあります。

また、おふでさきでは、

せかいぢうみな一れつハすみきりて
よふきづくめにくらす事なら

月日にもたしか心がいさむなら
にんけんなるもみなをなし事

このよふのせかいの心いさむなら
月日にんけんをなじ事やでおふでさき7号 109~111首

と教えてくださっています。

互いにたすけ合い、また人様をたすけさせていただき、教祖の教えをにをいがけし、連絡所、布教所、そしてそれぞれのご家庭を、そこにいる人だけでなく寄り来る人にとっても楽しく過ごせる場所にするということ、それが私たちの目標なのです。

ところで、私達夫婦は、教祖が現身を隠された日である1月26日にご本部で執り行われる春季大祭、この機会に合わせておぢばがえりさせていただきました。春季大祭を締めくくるのは、教祖が現身をお隠しになられた2時に合わせて、親里中に鳴り響くサイレンの音です。もちろんこのサイレンは天理にいれば毎日2時に聞こえるものですが、春季大祭を終えた瞬間にこの音を耳にすると、より一層胸が打たれる気がいたします。

教祖は人間の定命は115歳であると教えてくださっていましたが、その定命を25年縮めて、明治20年1月26日の午後2時に、御年90歳で現身を隠されました。教祖はご自身のご身上がすぐれないのも厭わず、何があってもおつとめをつとめるよう私達信者に求められました。このようにおつとめを急き込まれたことが原因で、教祖はひながたの道中に何度も監獄に連れていかれることにもなりましたが、それだけおつとめを大切に考えておられたということを物語っているように感じます。

教典に、

教祖は、休息所にやすまれながら、この陽気なかぐらづとめの音を聞かれ、いとも満足げに見うけられたが、北枕で西向のまま、静かに眠りにはいられた。齢、正に九十歳。

とあります。

このことは、おつとめをつとめる時に常に意識しておく必要があるのではないでしょうか。

教祖おつとめのことを「陽気づとめ」や「たすけづとめ」など様々な名前で呼ばれ、その理を振るように教えてくださいました。本日もつとめさせていただいたように、おつとめは陽気な心で一手一つに、親神様を拝してつとめるものですが、それを通してご存命の教祖もお喜びくださるということも心に留めておきたいものです。

私が入信したのは34年前になりますが、その時に教わったことに、お道のにをいがけをする上で一番根本となるのは、それぞれの土地所でお道の信者やよふぼくとしての手本ひながたになるということでした。それはどういう手本かと言えば、他人への思いやりがあり、自分の出来る範囲で人だすけをし、出来るだけその方々の幸せにつながるように行動をする姿です。天理教はとても素晴らしい宗教ですが、時として、私達はそれを難しく考えてしまっているように思います。教祖は決して教えを難しく説かれようとしたとは思いませんし、むしろその逆で、簡単で分かりやすいものにしようとされたと私は思っています。教えをシンプルで分かりやすい風にとらえれば、お道を通る人がもっと増えるようになるのではないでしょうか。初めて参拝した人が、また月次祭に来たいなと思ってもらえるような、そんな雰囲気を作っていこうではありませんか。また、親神様・教祖にお喜びいただきたいという思いで、皆で教祖が教えてくださったお歌を唱和しながらてをどり、鳴り物をつとめられるような場所になればいいなと思います。

もう一つ大切なのは、私達皆が力を合わせて天理教の教えを有言実行し、それを世界に示していくことだと思います。その教えとは、親神様が私達人間を創られたのは陽気ぐらしをして共に楽しむということで、それを教祖が教えてくださったということです。それには、天理教のスローガンである、感謝、慎み、たすけあいをモットーに歩む努力をしていかなければなりません。人生には様々な壁があり、何かと大変なことばかりですので、この出張所が心の平穏と陽気な気持ちを与えてくれるオアシスに見られるようにするのが大事かと思います。

さらに言えば、いつも教祖のひな型を心に置きながら、神様にもたれ、神様の思し召しに思いをいたしながら、それを行動にうつしていく努力も大切です。毎日朝づとめ、夕づとめをつとめながら八つのほこりを払い、親神様の十全の守護としてお与えいただいているご守護に感謝するようつとめさせていただければと思います。

お道の信者として、いつも前向きな気持ちで毎日の生活を送れるよう、互いに助け合い、教祖の教えとひながたを日々の生活の道しるべとして通らせていただきましょう。教祖は、周囲の人々に気を配り、いつも前向きで建設的な雰囲気を作る努力をするよう教えてくださいました。この出張所、連絡所、布教所、そして皆さんそれぞれのご家庭が、そこにいる人にとって陽気な場所になるようにするのが大切です。天理教の信者であろうとなかろうと、天理教関係の場所を訪ねてそこから帰る時には、来た時よりも幸せで、心が元気になり、爽やかな気分になれるのが大事かと思います。これが私達の目指すべきことです。

来年は、天理教英国連絡所の20周年、ヨーロッパ出張所の50周年になります。出張所の50周年を迎えるにあたり、日々の生活でより良いよふぼくになれるよう目指し、親神様の思し召しに沿って歩んでいけるよう、邁進していきましょう。この出張所に来れば幸せで陽気な気分に感じてもらえるよう努力を続け、さらにはここに足を運ばれる方々に対して、天理教はどういった教えか、そしてどういった姿を目指しているのかを見せられるような場所にしていきましょう。

私は、この出張所や連絡所はコミュニティセンターのようなものとして考えています。それは、天理教信者であれば直属や所属の系統に関係なく集まれる場所であり、また教えに興味がある方にとっては、足を運んでお道の信仰の喜びを共に分かち合えるような場所のことです。しかしながら、所属の教会や大教会とのつながりの大切さは忘れてはなりませんし、日本にある教会とは様々な形で定期的に連絡をとりながらその活動を支えていく努力をしていく必要があると思っています。しかし、とても有難いことに私たちにはこの出張所をお与えいただいており、来年はその50周年を迎えます。皆様におかれましては、これからも長谷川所長夫妻、そして出張所の活動にご協力いただきまして、ここが真の陽気場所になれるようおつとめくださいますようお願い申し上げて、講話を終わらせていただきます。

ご清聴ありがとうございました。

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